牛丸仁先生自作の『塗師の峠』と『夢の設計図』の概略です。自身が執筆した原稿から抜粋してご紹介します。
若者たちは、陶磁器と比較しながら漆器の衰退の理由を語り合い始める。耳を傾けている途中、真佐男は店からの電話に呼び出される。真佐男は、話の続きを聞くために瀬戸を訪ねることを頼む。
それから一か月後、真佐男は瀬戸の若者たちに会いに行く。まず陶磁器の用途の広さに驚く。
その夜、歓迎の宴に招かれ、「わたしたちが生きていかれる可能性は、伝統とか新しい道とか言う前に、それぞれに考えることもやっていることも違う仲間が、こうして心を通わせていることなんです」という言葉に一筋の光を感じる。
木曽に帰って、真佐男は、わずか五人であったが、薄暗い土蔵の作業場にこもっている若者たちに作品展を提案して回る。初めはそれぞれの違った雑多な作品を並べても展覧会にはならないと反対される。だが、真佐男の熱意に押されて、徐々に語りかけに応じ始め、やがて、めいめいが持ち寄った新作の「漆の里六人展」が実現する。
作品展は思いもかけない盛況のうちに終わる。仲間たちは、自信を得て次への夢を語り合う。
その夕方、たまたま宿場保存の調査団が来ていて、そこに加わっていた竹馬の友の武彦と峠の峰で語り合う。作品展を見て「伝統を守ることと、新しいものを生み出す可能性を見た」と武彦。宿場の保存のあり方について「今生活している村の人たちが、どうするかを考えないかぎり、ただの見せ物で終わってしまう。宿場と漆の問題は、切り離せない切実な問題だ」と答える真佐男。武彦が「この漆の里を守り育ててほしい。そのために、峠を越えてくれよ」と励ますところで物語は終わる。
この本の出版二年後、若者のグループが開いた展示会を飯田市でみた。そこには新しい試みの作品が並べられていた。このような動きは以後も見られた。こうした若い漆芸家たちの努力が長野冬季オリンピックのメダル制作となって実った。今も、職人と漆芸家や世代の枠を越えて協力し合っているという。漆器組合がこの本を多数購入したことも契機の一つになったのかもしれない。