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日本人のふるさと観を探る第3回に戻る

牛丸仁先生自作の『夢の設計図』の概略です。自身が執筆した原稿から抜粋してご紹介します。

『夢の設計図』(平成7) 牛丸 仁

 平成四年に赴いた最後の勤務校は開田小学校だった。この村(現木曽町開田高原)は、標高一、一〇〇メートルを超える寒冷地で、木曽福島からバスで一時間あまりを要し、雪が降れば閉ざされてしまう僻地だった。それが、昭和六十二年に開通したトンネルによって村の様相は一変した。
 最も著しい変化は、村人の構成に現れた。
 大半を占めている元々の人々(高齢者が多い)、都会からIターンしてきてペンションや食堂などを営む人々、異国から嫁いできた女性、それに加えて夏を中心に押しかける観光客。
 これは、地道に土に生きてきた村に異文化が入り込んできたことになる。はっきりとは見えないが、思考のテンポの違いから起こる文化の揺れが感じられた。
 そこで考えた。自分たち教師も、外から入ってきて数年で出ていく、ある意味で無責任な異文化人である。しかも、あえて言えば、村の中で高知識の集団である学校の務めは何か。
 たまたま、老朽化した校舎の改築の計画が始まっていた。それにからめて、文化の混乱への対処と学校の存在意義を主張しようと意図したのがこの長編少年小説である。
 純粋な村の子どもたち十五人の五年生の学級に、都市からきた中年教師と東京で不登校になっていた少年星一が転入することから物語は始まる。主人公正太は、野性的な村の少年である。父が別居している寂しさもあって、都会的な転入者に対して反発心を抱く。
 しかし、家では母を助けて働くひたむきさや優しさをもっている。
 その優しさが、春の遠足で発揮される。峠の頂上で雨になり、急いで下る途中、星一が後れてしまう。先生の制止も聞かず正太は引き返す。道ばたの地蔵に「地蔵様、星一をお願いします」と合掌して探し、廃れた古道に迷い込んでいる星一を助ける。以後、二人は親密な関係になっていく。

 星一とは睦まじくなった正太だが、先生とはなじめない。子どもたちの学力不足や消極性を嘆いている先生の心の内を見抜いていたからだった。
 六月の初め、先生は正太と共に、山奥の星一の家に招かれる。
 星一の父は、自閉症だった星一のために仕事を辞め、逃げるように一家で東京を離れたこと、ペンションを始めようとしたが、星一と同じように苦しむ子どもたちを夏休みに募集して、この村の自然を体験させようとしていることなどを語る。そのあと、大きな問題を先生に投げかける。
「山あり谷あり草原のある村、若者が出て行き老人がふえ続ける村、農業と観光の村、古いものが失われつつある村、こういう大きい問題をかかえているこの村の子どもたちをどう育てるかって考えてみる必要はありませんか」と。
 だが、先生は、何も答えられない。その問題を抱えたまま夏休みになった。
 正太と星一は、絶滅に瀕していた木曽馬の研究を始める。あちこちを歩いて年寄りたちから聞き取りをし、村と木曽馬との密接な関係の歴史をまとめあげる。その内容を学級全員が協力して秋の運動会に組体操にして発表する。
 その過程で、先生は子どもたちの活力に打たれ、星一の父から投げかけられた問題に対する答えの方向を見いだしていく。
 学級のまとまりを強くした正太たちは、最終学年の出発の日を迎える。入学式・始業式のあと、「一年間の決意」の作文を書くことになる。
 みんなはすぐに書き始めるが、正太は窓の外に目をやったまま書き出せない。
 しばらくして、雪の重みで壊れた雨樋が軒からぶらさがっているのが見える。すると、正太は、「新しい学校の設計図」とタイトルを変えて書き始める。
 「入学式の時、村長さんは、一年生が卒業するころは、この学校は新しくなっていると言いました」 

 正太の作文は続く。「卒業するまでに、ぼくたちの組で、新しい学校の設計図をかけばいいと思います。(略)みんなで考えればとても楽しい学校の設計図ができると思います。そして、村長さんに渡せば、夢をかなえてくれると思います」と結んだ。この作文が学級に認められ、卒業記念品として作成することになる。
 みんなで出し合った夢をもとに、馬の飼育、年寄りたちとの交流、外国から来た母親の悩みをきくなどの体験を通して、半立体的なイラスト風の設計図が完成する。中で目立ったのは、六角形の『ふるさときずな館』だった。
 五年生まで無口だった女の子が、卒業式の中で贈呈する代表に選ばれ、堂々と言葉を述べる。
「卒業記念として『夢の設計図』を送ります。(略)この『ふるさときずな館』だけでも取り入れていただけたら、子どもばかりでなく、お年寄りも、外国から来ている人も、きっと喜んでくれると思います。(略)この設計図を作っていたこの一年間、わたしたちはとても幸せでした。いい友だちとのきずなができました。それと先生とも」
 終わった途端、儀式の中では異例の拍手が一つ起こった。村長だった。それをきっかけに拍手の波が会場に広がっていった。
 出版から五年後、開田小学校は新しい校舎になった。その一角に六角形の図書室があり、そこへ行く渡り廊下の床にガラスがはめ込まれていて、小川を泳ぐイワナが見られるようになっている。また、すぐ近くには、デイサービスセンターが建てられている。初め山奥の村営の温泉の側に建てられる予定だったのが変更されたのだった。今も子どもたちがセンターを訪れて交流を続けているという。
 いずれも、当時の村長と教育長がこの作品を喜び設計に取り入れられたのだった。
 なお、この本は、平成九年の小学校統合十周年記念として村の全家庭に配布された。
『塗師の峠』と同じように、この『夢の設計図』も予言的な作品になった。




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