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次回の予定




フランスの信号機は
赤・オレンジ・緑
真ん中が確かに黄色ではなく
オレンジに見える。
日本では信号は青という認識
だが、実際は緑だったり青緑
だったりしている。
日本には、緑色を青と呼ぶ文化
がある。緑の葉を青葉という。
日本の子どもが太陽を赤く描く
のは、諸説あるようだ。欧米人は
大嶋さんのご指摘どおり黄色の
認識をしている。

色に関するイメージの獲得の仕
方を探っていくと面白い。
その国の文化や伝統が背景に
なっていることが多い。それは
言葉としてイメージが先にあり、
その言葉に対応する色が、後
から付随したようにも思わ れ
る。
日本で、太陽を赤く描くのは、
赤という言葉は、明るいのアカ
から来ているという説がある。
太陽は明るい→赤
だから、日の丸が赤で、太陽
を表していることに、日本人は
違和感を覚えないだろう。

また、赤という言葉からイメージ
する色も人それぞれ違う。
日の丸や紅白幕の赤は、
朱色(紅)に近い。血液の赤の
イメージはワインレッドのような
やや深みのある赤だったり…
こうしたイメージも個々に定着
していくだろうが、文化や環境
による情報から個人の中に
インプットされていくものだろ
う。
言葉の意味と同じように、
色の意味も、共通認識が
生じる。

日本のポストが赤で、
黄色のポストを見ると、ちょっ
と した驚きを感じるのは何だ
ろうか。



↑フランスの郵便ポスト。
私も以前に見かけた こ
とがあるが、ゴミ箱だと
思っていた。


映画のシーンは……

学生でモデルのヴァランティーヌ
広告用 の写真撮影の場面

元判事で盗聴を楽しみに生きる
ジョゼフ・ケルヌ

盗聴が明るみになり新聞に
載る。テーブルは赤

もう一組のカップル。 赤い車に
乗る法学生のオーギュスト

ガムのCMになった巨大な
ポスター

ボーリング場のシーン

ヴァランティーヌの通うカフェの
看板。店名は「ジョゼフ」


バレーの練習場

船が難破し救出された最後の
シーン。ポスターの写真と重な
る。手前は、ここで始めて出会
う法学生のオーギュスト






























































































純真さに触れて人生が蘇る「赤の愛」  

映画『トリコロール/赤の愛』(1994年・フランス)

映画を通してフランスの歴史を知る 第7回 《7月16日》



                講師の大嶋優さん(関西学院大学フランス語講師)

“色”のイメージをテーマに

今回取り上げた作品はキェシロフスキ監督の『トリコロール 赤の愛』(1994年フランス)だ。これは三部作のシリーズで、他に「青の愛」「白の愛」とある。トリコロールといえばフランス国旗の青白赤を思い浮かべるだろうが、その意味する、自由・平等・博愛(大嶋さんによれば本当は友愛だという)をテーマに作られた作品だとも言われている。

まずは、大嶋さんによる解説からだが、今回は映画のタイトルになっている色のイメージが、フランス人と日本人でどれほど違うか、と話し始めた。

のイメージは・・日本人は紅白の赤や赤飯の赤など祝い事のイメージ。
           フランスでは、血、フランス革命(ギロチン)からのイメージだろうか?
白のイメージ・・フランスでは、純真無垢なジャンヌダルク、処女のイメージ
のイメージ・・フランスでは、メランコリー・憂鬱・ボーとした夢のイメージ
のイメージ・・フランスでは、希望・薬局・医療関係のイメージ
のイメージ・・フランスでは、猜疑心、裏切り、不貞のイメージ

そんな色にまつわる印象があるそうだ。日本の郵便ポストは赤だが、フランスでは黄色。写真を見て、何かびっくり。
また、日本の子どもが描く太陽は赤だが、フランスでは太陽は黄色なのだという。

トリコロールという言葉も「3色の」という形容詞で、イメージは、「三色旗」、他にも「信号機」や、「フランスの」という意味もあるそうだ。
フランスの信号機の色は「赤、オレンジ、緑」というから日本の「赤、黄、青(実際の色は緑に近いが)」と、そんな違いもある。


映画の原題は“Trois couleurs” 直訳すると「3つの色」。「トリコロール」というのは日本語版のタイトルで原題にはない。「形容詞であることと、映画の舞台がフランスではなく《赤の愛》ではスイスのジュネーブが舞台になっているということも理由ではないか」と大嶋さんが解説してくれる。


映画『トリコロール/赤の愛』について

の対比、偶然の一致、そして運命の結末

映画は、大嶋さんの言う通り、濃厚なワインを味わうように、その複雑で凝縮された深味を一つひとつ取り出して確かめたくなるような、演出と構成である。
赤をテーマにした映像は、暗闇に浮かぶ赤い光のように現れ、赤以外の色はほとんど画面に映らない。季節も冬で無彩色だ。カフェの看板、車、テーブル、パスポート、ボーリング場、バレー練習場、贈り物の包み、運命ともいえる赤い幕……、それぞれに赤が象徴的に使われている。
そして、ストーリーに起こる「偶然の一致」。運命を暗示するかのように各所に散りばめられ、次の出来事を予見する。

「ドイツ語でドッペルゲンガー(自己像幻視)、この世にもう一人の私がいる、と言われていて、そういう事例があるようです」(大嶋談)
そんな内容を織り込んだ作品で、神秘的な印象すらある。

登場人物は、学生でモデルのヴァランティーヌという女性と孤独で近所の電話を盗聴している初老の元判事。そしてその元判事と同じような運命を辿る若い法学生とその恋人。二組の人生が平行して進行する。
元判事は、ヴァランティーヌに出会い、暗い人生に光が差し込むように明るさを取り戻していく。そこに、「赤の愛」が示す「友愛」のテーマが浮かび上がる。

「盗聴は法廷より真実が見える」という元判事に対し、ヴァランティーヌは「哀れな人ね」と言う。自分の飼い犬が妊娠していることにも気づかないと指摘する。
「最も身近な真実に気づけない自分自身に愕然とするわけです」(大嶋談)。
その言葉をきっかけに元判事は変わっていく。盗聴の事を自ら密告し、法の判決を受ける。
ヴァランティーヌのファッションショーにも出かけ、彼女に自分の暗い過去を打ち明けていく。互いの中に恋愛なのか友情なのかは定かでないが、心が通い合っていく。映画のクライマックスは、もう一組の男女の運命とも交差し、ヴァランティーヌと法学生との新たな恋を予感させるような終わり方となるが、これは是非見てほしい。

元判事の人生が闇で“黒”に喩えるなら、ヴァランティーヌは純真な“赤”、になるだろうか。色彩的にも黒と赤は互いを引き立たせる関係にある。黒がより黒く、赤がより赤く感じられる。運命といった不確かなものでなく、純真な愛によって人は変わっていく、と監督は言いたいのだろうか。この作品に横たわるテーマを様々な観点で議論してみたくなった。そして、こういう濃厚な味わいがフランス流なのかもしれない。(記事:いわた)


 



次回の予定

8月20日(土)19:00〜21:30
映画『憎しみ』(カソヴィッツ監督)


パスカルの「目は心の窓」にならって言えば、映画はさしずめ社会の鏡でしょうね。

今回は、その社会からはじき出された若者たちを描いた問題作、カソヴィッツ監督の『憎しみ』を取り上げます。

50階から飛びおりた男がいた

落ちながら彼は確かめ続けた

「ここまでは大丈夫」

「ここまでは大丈夫」

「ここまでは大丈夫」

だが大事なのは落下ではなく

着地だ

映画『憎しみ』の冒頭シーン

 

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