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鈴鹿カルチャーステーションの
坂井和貴さん。


このコラムは、坂井さんが
個人的に書いているブログ
を 、本サイト管理者が、
勝手に拝借して掲載して
いるものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 文化と人類C 恩師  11月14日

(1)「新しく5年東組の担任となる牛丸仁と言います。私の名前に、見覚えのある人居るかね?」と訊かれ、「牛若丸だー」と速攻で答えた。先生が来る前の教室で、そのことが持ち切りだったから、得意気に言った。皆は大笑いしたが、先生は苦虫を噛み潰した様な顔をした。

(2)『あれ、先生も笑うと思ったのに、怒ってる・・・なんで?』何か冷や汗が出てきた。「君達が、去年毎月読んでいた雑誌に私が書いた話が連載されていた筈だがなあ。私は児童文学書いている作家です。」『それでか・・・』それは、“誇り”というものを生れて初めて感じた瞬間だった。

(3)“謝謝(シェイシェイ)”という先生の書いた物語を読んだ。うろ覚えだが大戦中の日本人と中国人との友情が描かれていたように思う。「日本人」と「中国人」のうちは溶けあえなかったが、「人」と「人」になって出てきた心からの言葉が“謝謝”(ありがとう)だった。先生自身の朗読だったこともあってか、心の機微みたいなものがひしひし迫ってきた。

(4)ある子の文房具が無くなって、どうしても見つからなくて、犯人探しのようなことになったことがあった。その子の親友が自分のランドセルに入れていた。意外な結末に皆唖然としていたが、先生は決して責めなかった。だから、クラスの誰も責めなかった。「そんな気持ちになる時もあるよな」と、何だか庇うような気持が出てきた。

(5)学芸会の主役か何かに立候補したが、クジ引きだかジャンケンかで落選した。そういう決め方自体も、先生は良しとしてないようだった。音声の役割か何かになったが、腐ることなくやっていた。それは、先生が凄く気を掛けてくれたり、採り上げてくれたりしたからだ。主役になるより、いろんなことが学べたと思った。

(6)修学旅行の夜、「早く寝るんだぞー」とやや厳しく言って、先生は部屋から立ち去った。もちろん早く寝る子等誰も居なくて、僕ら数人は旅館の中を探索していた。12時前にトイレ近くで先生に出くわした。『やばー』と観念していたら、「元気でやっとるかー」と上機嫌だった。タダの酔っ払いに、先生は成っていた。

(7)燕岳登山のとき、泊まった山小屋の温泉は混浴になっていた。女子が入っている時、途中から大学生の男が入って来た。女の先生達はすぐ出て行ってくれと頼んだらしいが、「ここは混浴だ」と言って彼らは入り続けようとしたらしい。「まったくスケベな兄ちゃん達だよなあ」と先生。スケベという言葉を初めて知ったのと、彼らを裁くような感じが無くて不思議さが残った。

(8)「今まで学校にあることやってても面白くない。もっとアイディアを出そう、アイディアマンは誰だ?」というのに乗せられて、新しいクラブを作ったり色々やった。児童会で「ご飯を外で食べられないか」と言ったら、「そんなの無理ー」と総スカン!でも、先生だけは「出来ない理由ばっかりだな。誰か和貴の意見膨らませる奴はいないのか」と。面白い先生だと思った。

(9)その児童会の後期会長を先生の息子の信ちゃんがやり、僕が議長をしていた。学校の決まりでは後期会長が卒業式の答辞を読むことになっていたが、「ウチの息子は5年から転校してきたし、親としては今回の卒業生の代表で答辞読むような子ではないと思ってます。ですから学校の規則を破ることになるが、前期会長の渡辺君にやって欲しいんです。親の気持ちを分かってください。」と先生は僕らに頭を下げて言った。先生も“親”なんだ、と心にズシッときた。

(10)SCSで「日本人のふるさと観を探る」という牛丸先生の講座を聴きながら、こんな授業みたいに聴くのはほぼ40年ぶりのことだと感慨深く、記憶が次から次へと蘇ってきた。唯こういうことがあったというのでなく、その時の自分の心の動きが結構鮮明なのに驚いた。心への影響が大きかった人なのだと、改めて気付いた。作家だったり、酔っ払いだったり、親だったり・・・「先生」というより、「人」だったんだなと。

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