トップご挨拶イベントNEWSお知らせレンタルカルチャーエコ街のはたけてっらこや館内アクセス

過去の記事へ |次の記事へ | NEWS一覧へ



第1回
第2回
第3回
第4回
第5回
第6回
第7回
第8回
次回の予定





講師の大嶋優さん。
(関西学院大学フランス語講師)

シャネルと言えば、高級ファッション、
富豪、贅沢というイメージがあるが、
そんなイメージを覆す今回の映画
を是非見て欲しいという大嶋さん。






派手な衣装は自分には似合わないと脱
ぎ捨て、コルセットも外して、自分用の
ドレスを作ってしまう。


シャネルの服装はまるで男性服。
ネクタイを蝶ネクタイに切ってしまう。





コルセットの女性を指して、

「締めすぎて体が折れそう」と拒否。



当時の衣装を真っ向から否定。
「まるで銀食器ね!」「頭にメレンゲ載せ
てる。ケーキ屋にいるみたい」 と呟く。

この当時の女性のファッションは、
男性の裕福さを顕示するための
道具のように使われていた。

シャネルは、そんな女性の立場をも
解放した最初のフェミニストだとさえ
言われている。




女性のドレスは白というのが常識だった
時代に黒のドレスを仕立てて颯爽と踊る
ココ。
シャネルにとって黒は究極の色だ。
後に「小さな黒いドレス」を流行らせる。

周りに誤解されようとも、自分の嫌悪感
を押し通す強い女性だった。












































“シャネル”の知られざる人生A  @

脱「コルセット社会」を考える

わたしの映画レビュー 『ココ・アヴァン・シャネル』(2009年、監督アンヌ・フォンテーヌ)
/いわたたかし




オドレイ・トトゥ主演
     
10人いれば10人のシャネル像

世界のブランド「シャネル」だけにシャネルに関する本は実に多い。ファッションデザイナーとして現代女性の服装を決定づけたこと、一時期4000人の従業員を抱える大実業家だったこと、男性社会から自立した最初の女性として現代女性の先駆けとなったなど、--- 彼女がもたらした数々の功績を紐解いている。10人の著作があれば10人のシャネル像が浮かび上がる。

その偉大なるシャネルを大嶋さんは「アナーキスト」と呼んだ。

この取り上げ方自体、大嶋さんならではの視点だ。シャネルの目に見える実績や言葉の奥にある彼女の思想性に関心を向けている。私も何冊かシャネルの本に目を通したが、「アナーキストとしてのシャネル」像という視点は見当たらなかった。ちなみに、このキーワードでインターネット検索してみると、まっさきに前ページの大嶋講座がヒットするのでお試しあれ。

今の私たちにとって「アナーキスト」と解説されてもあまりピンとこない面もある。ところが、2009年公開の映画『ココ・アヴァン・シャネル』の中には、アナーキストの父と称されるブルードンの『貧困の哲学』書がちゃんと映されている。(下の写真)




シャネルの恋人となるアーサー・カペルが勧めた本だ。
その一場面をとらえて解説してくれるのが、やはり大嶋さんらしい。

この本にシャネルの大成功の秘密がもしあるのならきっと読みたくなる本かもしれない。
大嶋さんは概ね次のように話してくれた。

「権力なき秩序」「財産とは盗みである」

プルードンの有名な言葉に「権力なき秩序」がある。アナーキズムを端的に表現した言葉だ。権力者の支配による管理や社会秩序を否定し、一人一人が自立的に考え、方向性を持って行動することで社会秩序が保たれるとする考え方だ。




(映画の中で、装飾された大きな帽子を「こんなのしてたら考える邪魔になるわ」とシャネルが指摘する(写真上の左)。「あら、何を考えるの?」と聞き返されるが、シャネルが普段、考えていることを、それとなく思わせるシーンだ。右の写真がシャネルのデザインした帽子。飾りをとってシンプル)

加えて、プルードルの『財産とは何か』の著書では、「財産とは盗みである」 と述べている。これはフランス革命の思想となったルソーの『人間不平等起源論』が根底にある。その説では、本来、自由・平等の世界であったはずの自然状態が、不自由・不平等の社会状態になった根本原因は、財産の独占・私有化にある、とルソーは訴えた。その考えをプルードンは更に進め、「財産とは盗みだ」と言い切る。
これらプルードンの思想は、19世紀末のフランスを席巻する。

前々回紹介した『パリの大泥棒』という映画は、まさにこのアナーキズムを扱った映画


フランスに、デモやストが多いのは、アナーキズムの自主管理の思想が根底にあるからだとも言う。

シャネルが財産への執着を感じさせないのは、事業に成功した後、多くの芸術家のパトロンになったことからも伺える。ロシアバレー団の支援にも相当の資金をつぎ込んだ。




「上質な嫌悪感」

もう一つ、大嶋さんが取り上げた言葉で、「私は嫌悪感に敏感なの」というシャネルのセリフがある。ジュール・ルナールの『日記』の一節だそうだ。
それは、 「鑑識眼があるとは保障しないが、嫌(いや)なものは嫌(いや)とはっきり言える」という意味で、シャネルの生き方になっているという。

シャネルは自己の感性を信じ貫いた。
体を締め付けるコルセットや派手な衣装を嫌い、機能的で動きやすいシンプルな洋服をデザインした。それは自分の着心地を尊重したからだ。コルセットをしないで男性的な服装のシャネルを周りは変わり者と見る。しかし、周囲の女性たちにも次第に受け入れられていく。
つくり出すデザインも香水の香りも、自立した女の生き方も。時代の反逆者だったのが、新しい時代の流れに見事に受容されていく。見方を変えればシャネルによって新しい時代が作られた。


「社会のコルセット」に身を押し込めていないか


コルセットから女性を初めて解放したのはデザイナーのポール・ポワレだそうだ。だが、それを決定づけ、女性の精神までも解放したのがココ・シャネルだと言われている。

ここから更に、自分の意見を深めてみたい。

ふと、現代にある「社会のコルセット」をイメージした。

現代には、社会の体型を維持するために強力なコルセットがある。人々は無理にその型に自分を押し込め、ストレスや不自由を感じつつも、それが社会の常識だ、世間というものだ、と納得し、収まっているように見える。コルセットの着用に慣れれば、着心地もいいものかもしれない。
これは女性がコルセットを当たり前のように着用していた時代とよく似ている。
ところが、コルセットを外し体型にあった洋服が流行りはじめると、たちまち女性達は、新しいスタイルを受け入れていく。やはり自由と快適さへの欲求だろう。

現代における、着心地のよい新しいスタイルの社会とは何だろう?
きっとあるはずだ。
無理に体を押し込めなくても、自然体で身動き自由な社会が。

新しい時代に生きる、新しい社会をデザインしていく、それが今の私たちに求められていることのように思う。 (シャネルが自分に合う着心地のよい服をデザインしたように)

それがアナーキズムというと、ちょっとピンとこない面がある。○○主義とか○○イズムというだけで、型のあるコルセットに自分を押し込めるイメージが付きまとうから。
(アナーキズムについては無学なため、ここでの言及は避けさせて頂く。イメージだけで先のように記述したことをご勘弁を。この記事の結論がアナーキズムの本質と合致するような展開になると、大嶋さんの発言とも一致して、目出度い
結論になるのだが)

ただ、コルセットを外した女性はラクになったか? というと、意外とそうでもない。
やはり美しい体型を維持するために、ダイエットや運動に余念がないのが現代女性だ。
美しくありたい、という欲求か欲望か、美の基準も時代や地域によって変わっても、美を求める心は普遍的なのだろう。(もちろん 見かけなんて関係ないという女性もいれば、太った体型が美しいという価値観もある)

個人の中にある欲求で社会の秩序が保てるのなら、喜ばしいが、現代では、その価値観も多種多様で、また、ひがみや妬みもあり、怒りや争いの絶えない今のお互いでは、やはり「社会のコルセット」は必要なのかもしれない。あるいは逆で、「社会のコルセット」が各人の不平・不満を発生させている原因にも思えなくもない。

「社会のコルセット」が外れても、各人が自律的であれば秩序は保たれるのだろうか、そのためには?今の自分たちから一歩も二歩も人間として進化する必要があるようにも思う。それとも、もっと近道があるのだろうか?こんなテーマで議論してみたいものだ。


シャネルが成し遂げた、ファッション革命から、ふと現代社会の問題を吹き飛ばすような社会革命に思いが及んだ。

(記者:いわた)

>>>前のページに戻る

このページのトップへ

since 14.Jun.2010  Copyright SCS All right reserved.