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12歳で姉と二人で孤児院に送られる。


孤児院はシンプルで無彩色の生活環境
だ。裁縫も習得する。彼女のデザイナー
としてのセンスはここでの生活の中で育
まれたと思われる。















































































シャネルが結婚したいと思った男性の
カペル。

“シャネル”の知られざる人生@ A

映画 『ココ・アヴァン・シャネル』(2009年、監督アンヌ・フォンテーヌ)

映画を通してフランスの歴史を知る 第15回 《5月12日》

映画感想 吉田さん 船田さん 女性の視点で  



        講師の大嶋優さん(関西学院大学フランス語講師)

世界中の女性の憧れのブランド[シャネル]を生み出した、ココ・シャネル。実は、母親を亡くし、父親に見捨てられ、孤児院で育ち、田舎のキャバレーで歌い、仕立て屋で縫い物をする貧しい女性だった。その彼女が世界の[シャネル]になるまでの物語が今回の映画『ココ・アヴァン・シャネル』だ。前回の映画『カミーユ・クローデル』に引き続いて女性芸術家の波乱に満ちた人生が綴られている。一人の女性のサクセスストーリーとしても勿論興味を引くが、講師の大嶋さんはアナーキズムとしてのシャネルを取り上げた。
映画の中で、アナーキズムの父と言われるプルートンの『貧困の哲学』の本が映される。シャネルの愛したカペルがその本を勧め、彼から「君はアナキストだ」と呼ばれたりもする。さて、この映画を論じる前に、
映画を鑑賞した吉田さんと船田さんのレポートを紹介したい。 (いわた)



シャネル(=写真の女性:オドレイ・トトゥが演じる)が結婚したいと思っていた彼(アーサー・カペル)は地位と金のために貴族の女性と結婚するという。カペルは、「結婚は形式だ。君との愛は変わらない」と言うが、シャネルは「私は誰とも結婚しない」と強がる。その無情な悲しみを胸に…

「誰とも結婚しない」、その心理は?

土曜日の夜、雨の日も、風の日も、月に一度の”フランス映画”を知る機会は、僕にとってどんな糧を与えてくれているのだろう?今回で15回目。そして、初めて夜から午後の時間へと変更された最初の講座だった。

できるだけ僕が感じたままを言葉にしてみようと思っています。
映画を通してフランスという国の歴史を知るということから言うと、大嶋さんの解説から、少しだけれど、異文化の香りを感じ始めた所といった具合だろうか?それよりも、僕の関心事が、大嶋さん本体の方にゆきかけていると言ったら良いのか、今まで紹介してきてくれた映画のことや、今回映画を観るに及んで、その感を強くしてきている。「大嶋色」が、だんだん観え始めてきているそんな自分の感想を、まず一番に上げておきたい。

 「私は、誰とも結婚はしない」そう言う彼女に、僕の深層心理はどうはたらいたのだろうか?ロマンチックな結婚観は、この言葉を聴く前から、はや僕の中から吹き飛ばされてしまったような感じだった。

 僕はこの映画の中から何を観ようとしていたか?感動したりすることはあまりなかった今回の映画の中で、僕の心に残ったもの、、、、
それは、ココその人ではなくて、登場した2人の男性の彼女に対する態度だった。波乱万丈の彼女の人生には、とても映画では表しきれない実際の彼女がいて、その彼女とつながる数多くの人たちがいたことだろう。
自分がどう生きているか、何を願って日々暮らしているかによって、観えてくるものが変わってくるのだろうと思う。
 「自由に生きたい」という気持ちが、今僕の中に起こってきた。ココが失い、そしてココが得たものはなんだったのだろうか?
「ココ が得ようとしたものは、なんだったのだろうか?」

映画の余韻というのだろうか?静かに自分の中で反芻が始まっている。

(吉田順一)    このページのトップへ



映画の一場面――「どうも」

ココがたまらない!   

大嶋先生の解説は
「映画っていいですね〜」がにじみ出て、
帰り道は肩は、きらないが、
内観歩行みたいです。

フランスという国を表現するに、自分に尋ねると、
湧き出るのは、3色国旗に思える。

仏映画『ココ・アヴァン・シャネル』、観て思うに、
お針子の縫い針の様に精密で感受性の豊かさを感じ、
くわえタバコのプカプカに妙に自立を感じた。

ルノアールの絵の具の淡多色がフランスと思ったが、
包まなくとも対立的にならない不思議な
シャネル自分史色とテツガク(哲学)イロ(色)(シロとクロ)。

そしてココがパトロンの家(城)に着いた時、
馬車から降りる時の車夫にと言うより「どうも」に含む
これから始まる自他への挨拶にも聴けて、
やけに印象的場面だった。
「どうも」。

(船田武)    このページのトップへ



女性の視点で見る




  ココ・シャネルに関する伝記や物語は多い。しかも、女性作家によるものが目立っている。シャネルが如何に女性にとって魅力的な存在だったのか。この映画の監督も制作者も脚本も女性だった。女性に内在するものをシャネルに代弁させているようにも感じられる。
一人の女性が「女性として共感した」と感想を寄せてくれた。男性からでは気づけない視点、その感想を紹介したい。(いわた)



女性同士にある連帯と共感   このページのトップへ

大嶋さんの前解説では、この原作の著者も、映画監督も女性だとあり、もちろん主演俳優も女性だ。そのせいか、自分には全体を通して「親近感」のようなものを感じた。
これは一体どこからくるのだろう。

前回の『カミーユ・クローデル』のような激情の女性ではないけれど、その時代や社会の価値観に合わせ、求められるものに自分を当てはめようとするものには敏感に反応し、それを嫌い、自分の生き方をしようとするココ。
それはファッションであったり、男性との関係の中にも流れている。
しかし、長いものに巻かれることに反発しても、強がりだけでは、一人で生きてはいけない。女性が自立するにはと、この時代背景では、きっと困難な経済的な自立を目指したのだろう。

恋人のボーイがビジネスに有利な形式上の結婚をする、と聞いた後、空を見上げながら一人熟慮する。その時のココの目がこの映画の中で私は一番印象的だった。(=上の写真のシーン)

「私は誰とも結婚しない」と言い、パリに出て起業しようとするけれど、だからと言ってボーイからもパトロンの男性(バルサン)と離れることはしない。
利用しているような面があるかもしれないが、差し出される協力は受け入れ、経済的な自立を手にし、精神的な自立を目指していく。

その時代・社会の中で、あるものを使いながら、自分らしく生きることを賢明に模索しようとする姿? 瞳に惹かれるものがあった。

時代の常識や規範の中で生きる女性からも(姉や舞台女優)、ココは実は好意を持たれている。それはココのデザインする服や帽子が受け入れられていくことにも繋がっていると思う。

自分が思うに、女性というものは、ほんとうは自由で軽やかで、しかも適応力にも優れているものなのかもしれない。

しかし、男性との調和という立場や社会からの必要性で、その時代時代の「女らしさ」というものに、自分を押し込めて、存在を守ってきたのかもしれない。女性同士というのはどこかでそれを共感し合って連帯しているようなところがあるのではないだろうか。(みゆき)



シャネルに関する本は、たくさんの方が書かれていて、興味の尽きない人物であることは確かです。私自身も、改めて考察してみたいと思いますので、続きをお楽しみに!
(記者:いわた)


記事は続く>>> 脱「コルセット社会」を考える

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