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記者の目

「2000年代のフランス映画は、
原色を多様する流れになった」と、
大嶋さんが解説してくれた。
2001年公開の『アメリ』は、
赤と緑の補色を使った映像
だった。以前見た『憎しみ』の
監督、マチュー・カソヴィッツが、
役者として出演している。
その色彩の美しさは名画のよう
だ。

名画と言えば、その色彩の美し
さを画面に最初に表現したのは
印象派の画家たちといっていい
だろう。当時世間からはまったく
相手にされなかったようだが、
ゴッホの色彩は多くの画家に影
響を与えている。


ゴッホ《耳を切った自画像》
1889年


ゴーギャン《ブルターニュの
農婦》
1891−95頃


マティス《緑のすじのある
マティス夫人の肖像》
1905年


マティス《赤い調和(赤い食卓)》
1908〜09年
映画の舞台を見て、この絵を
思い出した。映画では、壁が緑で
床が赤い絨毯だったが‥、
フランスは色彩の天才たちを
数多く輩出している 。
ただ、映画『8人の〜』の配色はと
いうと、原色のようだが、彩度を
少し落として、全体のバランスを
とっている。
こんなところも映画の美術監督
の腕によるものなのだろう。







































マネ《フォリー=ベルジェール
劇場のバー》
1882年
給仕の女性をモデルにした作品
ちなみに女性の名前はシュゾン
という。メイドのルイーズを見て
思い出した絵だった。どことなく
雰囲気が似ているので。その
モデルの名がシュゾンという。
でも『8人の〜』にもシュゾンが登
場するが、彼女は長女役だった。











































作品に込められたミステリーを探るA @

わたしの映画レビュー『8人の女たち』(フランソワ・オゾン監督・2002年・フランス)
/いわたたかし



        映画『8人の女たち』より

「フランス流」って何?

色鮮やかなドールハウスを思わせるセットを舞台に展開されるミステリー劇。
この家の主が殺されるという事件が起こり、犯人探しにドラマは展開する。容疑者は8人の女たち。次々と暴かれる女性たちの秘密、その意外性に目を丸くしながら次を読み解く。そして結末では大ドンデン返しが待っている。
このミステリー仕立ては、映画のストーリーに限ったことではなく、作品そのものにも見られる、ということが、大嶋さんの解説が指し示す。真実を追求して止まない記者にとっては、記者泣かせの作品であること間違いなしだ。

大嶋さんが、この映画を「これはフランス流エンターテインメントです」と最初に紹介してくれた。
フランス流といえば、きっと何か裏があるのだろう、と想像した。
つまり、一つのシーンでさえ、そこには隠された真実というか、背景があり、そこを知れば知るほど映画を楽しめる、というヤツだ。

そういうちょっとイヤらしい目つきで映画に食いついた。あー何だか分からないが、一つの場面が何かを暗示している、比喩的であり象徴的なのだ。

そう、映画のオープニングからして、女優の名前とそれを印象づける花が映し出される。女優名によって違った花が。花のイメージか、それとも花言葉がその役柄を象徴しているのか、分からないが、その始まりからして暗示的だ、これはイヤらしい映画だ。花が何を意味しているか、それも一つのミステリー。この作品を紐解いていったとき、そこに、やはり驚きがあった。 (それはまた後程)

そして、女優一人ひとりが、唄って踊る。その役にあった歌であり詞であり、歌詞がそのままセリフになっているミュージカルだ。自分の生き方や人生観を語るなんていうと、堅苦しくなるが、歌詞の内容は、まさにそれそのもの。愛や恋や女をつぶやきながら、自己の深い思いを歌に乗せる。
女たちは、互いに疑い、他人の秘密を暴露し、喧嘩し、争うが、各人の生き方や人生観までは立ち入らない、むしろ尊重しているようでもある。これもフランス流かな?とついつい思ってしまう。そのフランス流とは何か、記者の探求心は止まらない。

オマージュ?

まずは、監督について知らなくてはと、インターネットで検索。
そして、フランソワ・オゾン監督のこの映画に関するコメントを見つけた。

あ、なるほど、彼は「ハリウッドの50年代の映画にオマージュを捧げている」というのだ。
そして、登場人物一人ひとりに、過去の名女優のイメージを重ね合わせて役作りをしたと。

あ、なるほど、と、わかる範囲で、役者とイメージの女優を並べてみた。カラー写真は『8人の女たち』のシーン。隣のモノクロはイメージの女優(その出演映画と違う写真も入っているが悪しからず。あくまでも参考まで)


カトリーヌ役のリュディヴィーヌ・サニエ。右はレスリー・キャロン(アメリカで活躍したフランスの女優・ダンサー)『巴里のアメリカ人』(1951年・ヴィンセント・ミネリ監督)に主演。


シュゾン役のヴィルジー・ルドワイヤン。右はオードリー・ヘップバーン(イギリスの女優)「麗しのサブリナ」1954年に主演、監督・ビリー・ワイルダー(両親ともユダヤ系・ハンガリー出身)


ピエレット役のファニー・アルダン。右はエヴァ・ガ−ドナー(アメリカの女優・両親アイルランド系)『裸足の伯爵夫人』(1954年)監督・ジョーゼフ・L・マンキーウィッツ(両親ユダヤ人)


オギュスティーヌ役のイザベル・ユペール。右はベティ・デイヴィス(アメリカの女優)『イヴの総て』(1950年、監督・ジョーゼフ・リーオ・マンキーウィッツ(ポーランド系ユダヤ人の移民の子)


ルイーズ役のエマニュエル・ベアール。右はジャンヌ・モロー(フランスの女優)、『小間使の日記』でメイド役、監督はルイス・ブニュエル(スペイン出身)


ギャビー役のカトリーヌ・ドヌーヴ。右はマリリン・モンロー(アメリカの女優)、ビリー・ワイルダー監督(両親ともユダヤ系・ハンガリー出身)の作品『七年目の浮気』『お熱いのがお好き』などに主演

背景に潜む監督の正体は

ざっと書き出しただけでも、役のモデルを辿ると、監督がヨーロッパ出身でユダヤ系だったり、または女優がヨーロッパ出身者というわけで、掘り起こすと、出るわ出るわ、アメリカに渡ったヨーロッパ人が。
如何にフランソワ・オゾン監督がオマージュを捧げているかが、明らかになってくる。

もし映画通ならば、『8人の〜』を鑑賞しながら、役者の背景となる大女優の影も楽しむことが出来るのだろう。


ただでさえ、ダンサーでも歌手でもない8人の大女優たちを仕切って、唄わせ踊らせて映画を作ったオゾン監督だが、役作りにどれほどの構想があったか、探っていくとザックザックというわけか。モンローとヘップバーンの共演にも見えるわけだ。

彼女たちが唄うその歌も役作りという点では、背景を探ったら更に出てくるだろうな〜。
女性のファッションも紐解けば何が出てくるやら。

踊りにしても、例えば、ピエレットの振り付けで、長い手袋を脱ぎ捨てるシーンがあるが、これも映画『ギルダ』(1946年・米)の女優・リタ・ヘイワースに真似ている。その監督は、チャールズ・ヴィダーで、ハンガリーのブダペストのユダヤ人家庭に生まれ、ハリウッドで活躍した監督だというから、あ、ここにもいたのか!

1967年生まれの監督が、1950年代の映画監督にオマージュを贈る。生まれる前の映画によく親しんでいるんだな〜。

ナチスに国を追われユダヤ系の人たちは他国へ逃れていった(この辺の歴史は、本講座でも学んできたことだけに感慨深い)。それがアメリカという国で花を咲かせる。人の移動が文化を生んでいく。先人達の業績に温かい視線が注がれているような作品だ。 歴史を積み重ねていくというか、あ〜、年代物のワインを味わうような深い味がする(そんなワインは飲んだことがないのであくまでもイメージ)。

歴史と文化の国フランス、そのフランス人を楽しませる映画を作るのは、並大抵のことでないのだろう。

では作品のオリジナリティ、独創性といった点はどこにあるのだろうか。
たぶん、大嶋さんが何度も強調した「女優全員に唄って躍らせた」という点だろうか。戯曲として作られ舞台劇となった『8人の〜』だが、舞台では歌はないそうだ。殺人現場で、しかも互いに犯人扱いという設定で、ミュージカル?という奇想天外なユニークさは、オゾン監督ならではかもしれない。

大嶋さんが女優たちの唄う歌を書き出してくれたので、ここにも紹介しておきたい。
この歌の流れも見事な構成になっている。

歌に込めたものは?

推理小説好きな17歳の妹、カトリーヌがトップを飾る――『パパは流行遅れ』
「パパは世間知らず パパはオクれてる ‥」
この詩にストーリーの伏線が張られている。パパとは殺害されるこの家の主人マルセルのこと。女たちの心の中を知らずにいる平和なパパ、とも読み取れる。

オーギュスティーヌ――『告白』、実は主人マルセルに思いを寄せていたという告白
「あなたは耳を傾けてくれるかしら? 私は怖いのあなたに伝えるのが “愛してるかもしれない”と」

ピエレット――『愛がすべて』日本でも有名な曲だ
「自由に生きて何になるの? 虚しいだけ 愛がなければ」 

シュゾン――『モナム―ル・モナミ』
「大好きな人 あなたを夢見る あなたなしじゃ生きられない あなたしかいない いとしい人 死ぬほど好きよ」
彼女は妊娠している

メイドのシャネル――『ひとりぼっち』
「孤独は悲しいから犬と暮らそう 独りは悲しいからあなたを待ち続ける 独りは寂しすぎる 独りは寂しいから女は女を愛する 独りは悲しいから幻想を抱きしめる」
彼女はレズ。

メイドのルイーズ――『表か裏か』
「私の生き方は運まかせ のるか反るか  イチかバチか勝負をかけるの 成功か破滅か 恋の行方は天まかせ 危険を覚悟で賭けに出るの すべてなりゆきまかせ 出たとこ勝負の人生 勝負に出るの 成功か破滅か のるか 反るか

ギャビー(マルセルの妻)――『あなたは決して』
「あなたは 財産もくれず “美しいよ”とは言ってくれない あなただってやっぱり男 他の男のように振り向かせてみせる 私の愛する人だから」  

そしてトリを務めるのは大御所のマミー(ギャビーとオーギュストの実母)と全員で――『幸せな愛はない』
「確かなものは何一つない 人間の強さも弱さも真心も 人生は不条理 苦しい別れ 幸せな愛なんてない この世に幸せはない」
と締めくくる。



さて、最後に花の意味は? 
インターネットで検索してもどうも分からない。ちなみに カトリーヌ・ドヌーヴにあてがわれた花はシンビジウム。その花言葉は、「飾らない心・気取らない心 高貴な美人 素朴・熱心・野心」とある。彼女のイメージなのかな、と検索を進めると、品種名に「マリリン・モンロー」とネーミングされているのがあった。へー、これには驚き! その真相や如何に? 

(記事 いわた)  前の記事に戻る→@

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