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日本人のふるさと観を探る第3回に戻る

牛丸仁先生自作の『塗師の峠』と『夢の設計図』の概略です。自身が執筆した原稿から抜粋してご紹介します。

  『塗師(ぬし)の峠』 (平成元) 牛丸 仁

 江戸時代の塗櫛にはじまって、堆朱塗りの座卓などの特産で隆盛を極めてきた木曽漆器は、昭和三十年ころから、食生活の変化やプラスチック製品の進出によって衰退の一途をたどるようになった。そこで、木曽漆器の中心地奈良井・平沢(現塩尻市)を舞台に、一人の少年が漆器職人として成長する過程を主流に、漆器産業の再生の道をさぐろうとしたのがこの作品である。
 主人公真佐男が、曲げ物職人の父が病気で倒れ、高校進学をあきらめて漆器屋に奉公に出るところから物語は始まる。
 真佐男は、数年を経て塗師としての技術を身につけた青年に育つ。その時、宿場の観光化の動きが起こる。漆器より経済効果のある土産品を導入しようと主張する者も出てくる。
 そういう混乱の中で、真佐男には新たな課題が芽生える。
(古いものと新しいもの、あるいは、古い中にこめられている新しいもの、新しいものを生み出した昔の人の知恵)
 真佐男は、先人が残した作品を村の中に探して解決の糸口を求めようとする。
 そんなある日、資料館で第一号と言われる堆朱塗りの座卓を見ていると、瀬戸市から来た若い陶芸家たちが入ってくる。

 若者たちは、陶磁器と比較しながら漆器の衰退の理由を語り合い始める。耳を傾けている途中、真佐男は店からの電話に呼び出される。真佐男は、話の続きを聞くために瀬戸を訪ねることを頼む。
 それから一か月後、真佐男は瀬戸の若者たちに会いに行く。まず陶磁器の用途の広さに驚く。
 その夜、歓迎の宴に招かれ、「わたしたちが生きていかれる可能性は、伝統とか新しい道とか言う前に、それぞれに考えることもやっていることも違う仲間が、こうして心を通わせていることなんです」という言葉に一筋の光を感じる。
 木曽に帰って、真佐男は、わずか五人であったが、薄暗い土蔵の作業場にこもっている若者たちに作品展を提案して回る。初めはそれぞれの違った雑多な作品を並べても展覧会にはならないと反対される。だが、真佐男の熱意に押されて、徐々に語りかけに応じ始め、やがて、めいめいが持ち寄った新作の「漆の里六人展」が実現する。

 作品展は思いもかけない盛況のうちに終わる。仲間たちは、自信を得て次への夢を語り合う。
 その夕方、たまたま宿場保存の調査団が来ていて、そこに加わっていた竹馬の友の武彦と峠の峰で語り合う。作品展を見て「伝統を守ることと、新しいものを生み出す可能性を見た」と武彦。宿場の保存のあり方について「今生活している村の人たちが、どうするかを考えないかぎり、ただの見せ物で終わってしまう。宿場と漆の問題は、切り離せない切実な問題だ」と答える真佐男。武彦が「この漆の里を守り育ててほしい。そのために、峠を越えてくれよ」と励ますところで物語は終わる。

 この本の出版二年後、若者のグループが開いた展示会を飯田市でみた。そこには新しい試みの作品が並べられていた。このような動きは以後も見られた。こうした若い漆芸家たちの努力が長野冬季オリンピックのメダル制作となって実った。今も、職人と漆芸家や世代の枠を越えて協力し合っているという。漆器組合がこの本を多数購入したことも契機の一つになったのかもしれない。





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