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鈴鹿カルチャーステーションの
坂井和貴さん。


このコラムは、坂井さんが
個人的に書いているブログ
を 、本サイト管理者が、
勝手に拝借して掲載して
いるものです。

 

 

 文化と人類F お米  12月5日

@今日、SCSでは愛伝舎さんとのコラボ企画で「餅つき&シュハスコ大会」が催された。人と人の間に多文化が響き合う素晴らしい空間だったと思う。その様子は別の場に譲るとして、本日の主役でもあった「お米」についての考察。

A餅つきは市会議員の杉本さんが担当していて、お米についてのレクチャーもしてくれた。米の一粒が、翌年には2000粒にもなるとか、何故お米は「八十八」と言われるほど手間が掛かるのかとか、興味深い話を聞いているうちに子どもの頃を思い出していた。

B母方の生家は生坂村という、松本市から車で1時間程の田舎にあった。農家だが代々村長やら校長やらを務めてきた家で、歴代当主の写真がズラーと大きな家の中に掛けられていた。祖父も当時小学校の校長をしていて、厳格な人だった。

Cまだ小学校に行く前だったと思うが、ゴロゴロ転がって遊んでいたらお櫃の中に誤って足が入ってしまったことがある。決して故意ではないが、母は激怒して直ちに幼い僕を家から引きずり出し、土蔵に放り込んだ。その激しさといったら、厳格な祖父ですら引き留めようとする程だった。

D南京錠まで掛けられた。暗くて怖くて、そこから逃れたくて、必死に脱出方法を考えた。どうしたのかは定かではないが、小一時間後には抜け出していた。母が何ゆえ、そこまでするのかが全く理解できなかったのと、すぐ戻っては又土蔵行きだと思って、田んぼに行き土手で時間を潰した。

E「その一粒のお米にどれだけお百姓さんの苦労が詰まっていると思うの!」
ご飯茶碗に米粒を残すたびに、母からこの言葉を聞かされた。下手したら今でも言われる。きっと総合計したら何百回、いやもっと聞いているかも知れない。母がそこまでお米を大事に思っているのは何故なんだろう?と、今とても不思議になった。

F小学校の時は秋になると毎年、生坂の田んぼに稲刈りに行っていた。仕事を手伝った記憶はほとんどない。「ハセがけ」されていく稲束の周りを走り回っていた。それまでの『稲穂に覆われた田んぼ』が『どこまでも広がる運動場』に大変身した嬉しさで、いつまでも走っていた。

Gコメ離れが進んでいると言っても、やはり日本人には米は欠かせない。ここしばらくの間でも、「ふっくりんこ」という函館産の新しい品種の米を世に打ち出すデザイナーの話とか、神子原米というローマ法王に献上してブランド化した品種の例とか、幾つかテレビでの特集を見た。

Hだがコシヒカリに、あきたこまち、きららに、みえのえみ等々、お米の品種は百花繚乱。美味しいお米を追い求めての狂想曲という感じもする。自分の生活からかけ離れたところにある宝石でも追っかけているような・・・今自分が食べているお米と、私とはどう繋がっているだろうか?

I杉本さんがレクチャーの最後に、「自分が一番食べたいお米が、美味しいお米です」と言った。自分が一番美味しいと感じたお米は何だろう?子どもの頃は品種がどうだとか、どこどこ産なんて考えたこともなかった。ただ、生坂の田んぼで取れたお米を食べていると思い、実感していた。あの時のお米は、美味かった。

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