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映画のポスター



映画の冒頭は、ドイツ占領下
時代。ヒトラーから「パリを爆
破せよ」の命令を受ける。
コルティッツ将軍は、拒否。
♪私が愛するもの二つ
♪祖国とパリの街

と歌う。
彼のお陰で今のパリがある
という始まりだ。


パリで旅行ガイドのバイトを
しながら、歴史論文を執筆中
のカミーユ。彼女に恋してし
まう、自称ラジオドラマ作家
で不動産屋の社員シモン。



カミーユは勘違いで不動産
会社の若手社長に恋してし
まう。 シモンの上司だ。


カミーユの姉オディールの
ところに昔の友人ニコラが
やってくる。
不甲斐ない夫の相談をす
るオディール。


ニコラは、パリで家さがし。
不動産屋のシモンの世話
になる。二人は友達に。


オディールの夫クロードは
浮気をしていたが、とんだ
ハプニングから二人の縒り
は戻る。
































































あなたの会話は通じてますか?

 ――第2回フランス・デー開催! 《3月9日》

映画解説『恋するシャンソン』(1997年、監督アラン・レネ
 


     講師の大嶋優さん(関西学院大学フランス語講師・翻訳家)

 社会病理をあぶり出す映画!

『恋するシャンソン』――日本語のタイトルとそのポスターの印象では、コミカルな映画をイメージしてしまう。確かに鑑賞してみると、突然役者がシャンソンを口パクで唄い出して心の内を吐露したり、誤解あり勘違いありで、何度も笑いを誘う内容だ。よくある日常の出来事を笑い飛ばしてストレス解消という意図も感じられる。そのように楽しく鑑賞することもできるが、「映画のタイトルには実はもっと奥がある」という解説をしてくれたのが講師の大嶋さんだ。

「フランス語のタイトル〈On connait la chanson〉を直訳すると、“人はその歌を知っているよ”という意味になりますが、実は、もう一つ、フランスでは、大きな意味があります。
“そのセリフは聞き飽きた” “君の言っていることは分かっているよ” “諄い(くどい)” “もう十分だ”
という時に使います。意外と日本では知られていません。
この映画の中にもおそらくそういう意味が込められていると思います。
タイトル一つとっても、日本語の邦題からは、真の意味がわかりにくいですね」

そんな解説を聞いただけでは、その意味するものが十分理解できないが、作品を何度も見返していくうちに、ピン!と来るところに行き着くものだ。

ストーリーは、パリに住む男女7人が繰り広げる人間模様で、取り立てて面白い展開があるわけではない。
夫婦不和、浮気、失業、うつ病、原因不明の体調不良、偽装販売… ちまたに溢れるよくある問題を題材にコミカルに描いている。36曲歌われる音楽に記憶や時代背景が重なれば映画の奥行も増すことだろう。
しかし、それだけだろうか? 監督はアラン・レネ。『夜と霧』、『二十四時間の情事』など戦争を扱った社会派映画の監督でもある。作品に何かしらの主張があるのではないか。登場人物のセリフに注目しながら何度か見直してみると、大嶋さんの言う “もう君の言うことは分かってるよ”のキーワードに次第に納得させられていく。

その言葉は、様々なシーンに顔をみせる。
夫婦の会話、上司と部下の口論、セールスマンと客の取引、男女の恋仲、医者と患者、同僚、友人など、日常会話に潜み、揉め事の原因ともとれるキーワードだ。その集約された言葉が「君の言うことはもう十分、分かっているよ」だ。
なるほど、映画のタイトルに込められた意味とは、そのことだったのか。
少々映画のセリフを紹介してみよう。

夫婦の会話その1――同意を求める妻



新しい住宅物件を買い急いでいる妻と、焦っている妻を牽制する夫との会話だ。

夫「私はあせらず考えようと言いたいんだ」
妻「永遠に引っ越せないわ!」
夫「いい家だがもう少しまったほうが…」
妻「待ってたら売れちゃうわよ」
夫「何を言わせたい? 分かった 賛成する 満足か?」
妻「何よ あなたの意見を聞いてるの!」
夫「言っただろう 賛成だって…好きにすればいい」
妻「好きにしろとしか言えないの!?そんなの全然うれしくないわ!」((`・ω・´)
夫「君が求めるのは君への同意だけだ!そうしてるだろ!」

会話の最後は双方が怒り出す。
互いに噛み合わないのは、相手への要求にくい違いがあるからだ。
自分が相手に聞いて欲しいと思うことが、相手は聞く耳をもたず、“君の言うことはもう分かっているよ”という態度で言葉を受け流している。だから言う側は、聞いてもらえた、と思えるまで、永遠に同じ言葉を繰り返すことになってしまう。
こんな会話日常茶飯事よ、と見逃しがちかもしれないが…
第三者になってみるとよく分かるものだ。

夫婦の会話その2 ――強がる夫



別の夫婦の会話でも――
妻は、夫の言動を信じてない。夫は強がりばかりで、本音が言えない、と妻は決め付けている。意思疎通ができず話が煮詰まってくると、互に開き直り人格非難へ。

夫「お前が考える 俺の欠点なんか分かってる! 聞かんぞ!」
妻「誤解だわ」
夫「たった1人で頑張ってるんだ!」
妻「そのくらい私だって分かるわ ただ作り話だけはしないで 何度聞かされた?“もう大丈夫”って。作り話だけはやめて! 欠点なんて思ってない ねえよく聞いて。 
なぜ いつも人に思われたいの?自分だけはうまくできるって…
なぜ言わないの “できない”とか“失敗した”って… 言ってよ!
私は本当のことが知りたいの!」
 とうとう夫も開き直る。
夫「やめろ すべて本当だよ。お前の言うとおりいい加減な男だよ そこが問題なんだろ? しっかりした男を期待してもムダなんだ」

開き直ったところで、夫はやはり強がってみせる。妻に本音を零せない。その姿に妻はますます憤り、その気持ちを歌う。 

♪恋の炎が消え 残るのは灰だけ
私は 地球が止まって落ちてほしい
あなたは 負けるより 死を選びたがる
分かってよ 気づいて♪

“人によくできると思われたい”この価値観もとても強いものがあるだろう。面目や見栄、あるいは、立場や看板を背負い、負けまいと孤軍奮闘する。そこに生じるストレスや負荷が肉体も精神も蝕んでいく。
だから開き直って笑い飛ばすしかないのよ!私のせいじゃないわ!そういう世の中なのよ!という声も聞こえてきそうだが、話を進めよう。



旅行ガイドのバイトをしながら、歴史論文を執筆するカミーユもまたしかりだ。充実した毎日を送っているようだが、目眩や動悸に襲われ体調不良に悩まされる。「うつ病」ではないかと友人から指摘され、その彼女も「うまくできると人に思われたい」一心で頑張っている。パーティ会場の大勢の中で、失態を見せて、そんな強がりを少しは吐き出したようだったが。

「君の言うことはもう分かっているよ」「人によく出来ると思われたい」…
そんな想念の壁に阻まれて、物事も進まず、人間関係も悪くなる。

こんな歌も唄われる。
友人にその弟の就職口を頼まれ、やむにやまれず引き受ける…

♪イヤだけど仕方ないの
 素直に言えないの
 嘘ぐらいつくのよ
 うまくやるには偽らなくちゃ♪


弟さんは仕事の意欲がない。断るにも断れず、嘘をつかざるを得ない気持ちを唄う。思い当たる人は納得する詩だろう。友達との関係を崩したくないときはウソくらいついても仕方ないと。

でも、 こんな時に友人に本音が言えずウソをつかざるを得ないが故にその切なさが歌になる(本音で話ができない間柄を友達といえるの?ともツッコミたいが)。そこにはどんな壁があるのだろうか。

こんな会話が日常的に、夫婦間で、友達どうしで、兄弟、親子で、同僚で、上司と部下で、客と店員で、医者と患者で、行われているとしたら、いかがなものか。
そもそも会話が成り立っていないのだ。通じ合えない話し合い。話しをしても、“君の言うことは十分承知だよ”という態度だから尚更。
ここが映画『恋するシャンソン』の主張する社会問題の根幹なのではないか!? 
双方に立ちはだかる“嘘の壁”。
こうした社会病理の根っこを映画は浮き彫りにしているように思えた。

脚本はアニエス・ジャウィとジャン=ピエール・バクリの夫婦によるもの。前回紹介した『ムッシュ・カステラの恋』の脚本も務めた心理描写に長けたセリフが見事だ。
大嶋さんが講座で取り上げる映画には、取り上げるだけの意味がある。そこに触れると、あ、なるほど、そこが“フランス流”なのか、とその奥深さに出会えた気がして、うれしくなるものだ。単なる深読みではないと思いつつも。

日々忙しい人にとって、立ち止まって人の話に耳を傾けることは難しいことかもしれない。それ故、意思疎通出来ずにストレスとなっていることもあるだろう。会話や話し合いがなかなか進まないのは、むしろ、その態度・姿勢が問われているようにも思う。
たとえ、相手の真意が汲み取れなくとも、汲み取ろうとしているかどうか。

例えば、今回の映画を紹介してくれた大嶋さんの真意は何だろうと考えてみる。それを知りたくて何度も映画を見る。セリフを書き出す。ワンシーンの意味を調べる。そして、大嶋さんの解説を再び聴き直してみる。そんな繰り返しから一つの意味がこぼれ落ちてくる。
もしかしたらこんなことが言いたかったのではないか、これを面白いと感じて、この映画を取り上げたのではないか。焦点が絞られた時に、ふとニヤっとする自分がいる。もしそれが大嶋さんの真意と違ったものであったとしても、この作品についてここまで考えた、という会話は出来る。共感出来るもの、分かち合えるものが作られる気がする。
そんなことが人と人と、身近な人とやれたら、面白い。

最後になってしまったが、吉田さんのレポートを紹介して終わりたい。

また、もし、人と心から通じ合える会話をお望みの方は、一度、『人を聴く―心が通う話し合いとは』(サイエンズ研究所)をご一読あれ。ここにその叡智が潜んでいると思う。社会病理を解くカギが…。(記事:いわた)


 不思議な映画に笑い声    吉田順一 

3月9日の第2回フランスDAYから丁度2週間。今日久しぶりに、当日撮った大嶋さんの映画解説動画を観て、あの日のことが、少し蘇って来た。と言うより、蘇らせようとして動画を観たと言うほうが正しいかもしれない。

『恋するシャンソン』今回の映画はこんな素敵な日本語のタイトルが付けられていた。しかし、大嶋さんも解説で言っていたように、とてもタイトルから想像するのとは違った内容の映画であったように、僕には感じられた。一言で言うなら、“不思議な映画”とでも言おうか?!

全編に流れる音楽の曲数は36。本当にびっくり。
途中から映画の流れに僕の心も乗り始めると、次は、どの人の口から音楽、いや言葉は、、、飛び出すのか?!そして又、その言葉、いや音楽は、、、どんなものなのか?!と、興味が沸き始めてきた。

クス、クス といった笑い声も、場面によっては良くきかれた。僕自身も一緒になって、クス、クス笑いをしていることもよくあった。

36曲どの曲が、どの場面で、どの人の口から流れ出たものか、今は全然思い出せない。しかし、映画を観ていたその時には、不思議なくらいピッタリとその人のセリフが歌となって出てきていると納得してしまうところも多々あった。

もう一度観てみたらどんな感想になって出てくるかわからないけれど、フランス語タイトルにこの映画の主題が表されているようにも感じる。大嶋さんの解説にあった、裏の主題、“もうその言葉は聞き飽きた”と言った感じだ。


シャンソンの詩を朗読する吉田順一さん


 シャンソンに親しもう!

映画の中で歌われていた曲の中から3曲を、大嶋さんが取り出して、それを僕は日本語で朗読させてもらった。
約一ヶ月、いろいろローマ字を書いて、歌を聴き、朗読の練習をした。しかし、あの映画の後でそれをやった時には、緊張もあり力が入り過ぎていたような気が今はする。
実は、練習している時が楽しかった。本番では余り楽しめなかったかな。
僕の感覚では、アズナブールの歌が、どこかしっくりとくるが、それもどういうものか良くわからない。

フランスDAYをよりフランスDAYにすると考えてみた時に、映画、音楽、そして次回は料理とくる予定だ。なんだかだんだんというか、ますます大嶋さんの本領発揮と言う感じがする。
それとは別にというか逆にというか、僕にとってはだんだんハードルが高くなってくる気持ちがする。楽しみでもあるけれど、ちょっと苦しみも感じたりする。

(吉田順一)    このページのトップへ




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