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講師の大嶋優さん
(関西学院大学フランス語
  講師・翻訳家)

















































































ジャコメッティの言葉―「芸術より人生を」 

第22回大嶋講座と映画レビュー『男と女』(1966年、監督クロード・ルルーシュ)

 記者のレポート  
>>>吉田さんのレポート


 映画の1シーン    

「レンブラントの絵より一匹の猫」

「芸術より人生を」
クロード・ルルーシュ監督の映画『男と女』のセリフに出てくる言葉だ。
主人公の男女が海岸を歩きながら語る場面で、彫刻家ジャコメッティの話題になる。海辺を犬と散歩するコート姿の老人を見て、ジャコメッティを思い出す。
ジャコメッティは、こう言ったと男が話す。
「火事になったらレンブラントの絵よりも、猫を救う。そして、あとで放してやる。
“芸術より人生を”だ」
女は、「感動的だわ」と、言葉を返す。

一匹の猫よりも、レンブラントの絵の方が価値があるのではないか、などと通俗的に考える人には、「猫を救う」ジャコメッティにいささかの反発もあろう。否、大半が「やはりレンブラントの絵でしょう」と思うからこそ、あえて逆説的な言葉をルルーシュ監督は使ったと思う。
記者自身も同様にこの言葉が心に引っかかった。いったいジャコメッティは何を言いたかったのだろうか。
過去の遺産、権威の象徴。そんなものより目の前の生きた現実だ。命の方が大事だ。ということなのだろうか。

「芸術は手段」

ジャコメッティと言えば、針金のように細長い人物彫刻が思い浮ぶ。その彼は、自身の著作の中で、芸術に対する考えを残している。

「芸術は見るための手段にすぎない」
「どんなものを眺めても、一切が私を乗り越え、驚かせるので、自分が何を見ているということが、私には正確にわからない。あまりに複雑なのだ。だから見えるものを少しでも理解しようと思えば何も考えずに模写を試みなければならない」
「自分が見ている現実はとらえられない。芸術こそ現実を見出すための手段に他ならない」

ジャコメッティの言葉は、一般の芸術家の行為とは真逆だ。
芸術に人生を賭けたり、一つの作品を生み出すために一生を捧げようとする作家もいる。素晴らしい芸術を生み出すことが生きることだ、という人もいる。
「芸術のための人生」「作品のための人生」と言おうか。

しかし、ジャコメッティの目になれば、現実は、作品以上に眩い光を放っている。生き生きとした生命の輝きがある。その正体を知りたい、探りたいという衝動が、目を、手を動かし、形の奥にある本質に迫ろうと試みる。しかし、決してその本質には手が届かない。それを知りながらも探求心は尽きることがない…

リンゴを見つめると…

私(記者)も絵を描く一人だ。「美」は、どこにあるのか、「美」とは何か、何を「美」と捉えているのか、その探求心が絵を描く動機でもある。


『ニュートンのリンゴ』(水彩・F3号 岩田隆)

例えば、一個のリンゴを眺める。ただ見ているだけなら5分もすれば見飽きてしまうだろうか。ところが、そこから感じたものを絵にしようとすると、1時間でも2時間でも、1日でも、見飽きることがない。
見れば見るほど、見え出し、見えないものまでも感じ、想像力をかき立て、感性と目と手が連動して働いていく。

一個のリンゴにも宇宙を垣間見、広大無辺の空間を旅する。その存在を過去に遡れば、また、多くの歴史に出会い、人に出会い、物語が溢れ出す。
そして、また目の前のリンゴに戻り、香り、色、形、生命の輝きを感受し、心象風景を映し出すのである。
リンゴと向き合い、対話し、語り合った結果が、確かに一枚の紙に描き出される。それはもう、自分にとっては、燃えかすのようなものかもしれない。

残された物は、一枚の絵となって、誰の目にも触れることが出来る形として存在するが、しかし、これもやがては、色褪せ、紙も朽ちていくものでもある。本当の価値とは何だろう?

ジャコメッティの言葉は、存在そのものの中に何があるのか、その価値に目を向けさせてくれるようでもあった。

「芸術より人生を」
人生――、それは人が成した行為。その結果から生まれたものが芸術でもある。芸術があって人生があるわけではない。と、思うのだが、人生の目的とは何か、生きる目当ては何か、その問いに答えられないがために、目的と手段が交錯してしまう。故に、ジャコメッティの言葉も「感動的」なものと受け取られてしまうのだ。

宝石のようなセリフ


映画の話題も。
「くだらないことがあるとよく“映画みたいだ”と言う。なぜ映画を軽く考えるのかな」(男)
「さあ… 楽しいときに見るからよ」(女) 
映画の中で映画を語る。ここにも監督の意図が?

「映画に詰め込まれた一言一言のセリフに、ルルーシュ監督のメッセージが込められているのではないか」と大嶋さんがいう。
男女の会話に、出てくる言葉の数々。



「その名を聞くだけで、僕は身が震える。感動を呼ぶ数々の名。サンバをたたえよう」
と作曲家や歌手の名前が連呼される。
映画全体にも言えることなのだろう。監督の数々のオマージュがセリフに表れ、まるで宝石箱を開いてキラキラと光る宝石を眺めているようでもある。

その一つが彫刻家ジャコメッティの言葉だった。
「映画よりも目の前の貴方だ」「思い出より貴方」「貴方を愛している」
そんな
強いメッセージとも受け取れた言葉だ。



映画の話に戻ろう。
主人公の女性アンヌは、事故で亡くした夫ピエールへの思いを引きずっていた。彼女の前に男性ジャン・ルイが現れ、アンヌに思いを寄せていく。互いに近づいていくが、ベッドシーンでは、夫との思い出が蘇り、結局二人は別れてしまう。
ところが、一度離れると、今度は、ジャン・ルイと過ごした一時の情景がアンヌの心にフラッシュバックする。
その時アンヌは、片時も離れなかったピエールとの思い出は
消えていたようだ。たった今別れたばかりのジャン・ルイが心に蘇り、反芻するように、ジャン・ルイへの思いを募らせていく。
そして再び駅のホームで二人は出会い、結ばれる。

ラストシーンに、何故か引き込まれて共感してしまうものがある。
人は絶えず過去を振り返りながら生きているのだろうか。振り返ることで、自分の気持ちを確かめ、また、思いを募らせ、前に進んでいるようにも思う。

そんな映画展開と長々書いたジャコメッティの芸術論とは、結びつかないところもあるが、空想と現実の間を行き来するのもまた、芸術なのかもしれない。
(記者:いわた)

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