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教師と生徒、その間にある壁 

映画 『パリ20区、僕たちのクラス』(2008年、監督ローラン・カンテ)

フランスまるかじり 大嶋優のオーシネマ・カフェ 第20回 《11月10日》

 >>>吉田さんのレポート  >>>記者のレポート



     講師の大嶋優さん(関西学院大学フランス語講師・翻訳家)

「フランス映画は一篇の叙事詩である」というのが、大嶋さんの持論だ。一つの映画作品も長い歴史に連なる物語の一節であるという。だから、その一コマを見ても理解の及ばないことが多い、という訳である。

これは記者の言い逃れかもしれないが、今回
『パリ20区、僕たちのクラス』は、いつ始まり、いつ終わったのかも分からないまま、テーマだけが投じられたような映画だった。教師と生徒の授業風景を追ったまるでドキュメンタリー映画とも見えた。主演のフランソワ先生役も生徒たちも、みな役者経験のない素人だというから、それが一層リアルさを増していたのかもしれない。

フランスは移民の国で、生徒は多国籍化し、教室は世界の縮図と化している。映画が投げかけるテーマはまさに世界の社会問題を凝縮させたものと言えるだろうか。その中で果敢に生徒と向き合う教師と、様々な問題を抱えながら、希望を見つけて生きようとする子ども達の姿―― それらは悲しみと混じり合う希望のようでもあった。

まずは、吉田さんのレポートを紹介する。 (いわた)


長い道のりの一過程か


国語教師のフランソワ先生

「今日は自分のことを」

2ヶ月振りに大嶋さんが解説してくれた映画は、『パリ20区、僕たちのクラス』だった。
会場に入ると大嶋さんがいた。「やあー、久しぶり」そう微笑みながら大嶋さんが僕のほうへ、お互いの手と手をあわせタッチを交わした。「今日は自分のことを話すからね」と言った。“自分のこと”って何だろう? それは映画解説の中にすぐに現れてきた。

詳しくは思い出せないが、大嶋さんの実体験、「家庭教師」時代に味わった話だった。子どもとのやり取りだった。

1人目の子どもについては、とても落ち着きが無く、なかなか机の前に座ることができない。少しもじっとしていない。“座らせる”ことにどれほどのエネルギーが要ったか……座り始めたら少しずつ成績が上がっていったとか。

2人目はとても“おませな女の子”の話だった。ある時その女の子の服装が気になり、「胸が見えるよ」と言ったところ、「もう来てもらわなくともいいです」となったとか……。

また、あるとき態度の悪い子に対して頭をゴンと殴って以来、一度も人を殴ったりしないとか話していたのも、僕の心の中に残った。


中学生の子どもたち

主題は子ども達ではない

さて、映画の方だけど、「これはどこを主題に捉えた映画なのだろう?」というのが、観終わってから3日ほど経った今の僕の疑問でもあるし、感想にもつながることである。
はっきりと言って、これは子ども達を主題に撮った映画ではない、と今の自分は感じている。フランソワの担当するクラスには、24人の14歳ぐらい(中学2年)の子ども達がいる。ませた女の子も、大人びた男の子たちもいろいろいる。

そういえば、僕の中学時代には、音楽の先生が授業中に泣き出してしまうこともあった。
子ども心にも、「かわいそうだな」と思った記憶がある。しかし、フランソワの教室の子ども達はそんなもんじゃない。そんな気がするのは、教師と対等に、ある面向き合い、自分の意見を言ってゆくあたりだろうか?

「生徒の成績評価会議」というものが持たれ、そこに何故か?二人の女子生徒が加わっている。ここに見た光景は、僕の育った学校では、見たことも、聞いたこともない場面で、理解するのに時間がかかった。その会議の中で、胸をはだけるようにして、口の中でなにかをむしゃむしゃ食べるような態度の女の子に…… そうした態度に対して使ったフランソワの言葉“petasse ”(ずべ公、売春婦、娼婦)は、翌日教室の中で、どんどん広まり、収集がつかなくなる状態になった。


退学処分となった男子生徒とその母親

また一人の男の子の授業態度が悪く、教師がそれを指摘すると、彼は、机を蹴るようにし(それがはずみで女の子が怪我をしてしまう)、教室を飛び出てしまう。これが直接の原因で、懲罰委員会がもたれる。結局採決の結果、その男子生徒は退学処分となってしまう。

決してフランソワの孤軍奮闘を描いた映画でもなく、子ども達と教師の友情物語でもなく、今、この学校、そしてこのクラスの一人ひとりを描こうとしたら、こういう解決の道がすぐには見えない、その姿が浮き彫りになってくるということだろうか?


学年末の最終日、生徒とサッカーに興じる先生。

大嶋さんが語りたかったこと…

「本当に考える」「本当に話し合ってゆこうとする」それは、教師たちの会議の場面や、教室での、フランソワと生徒たちの表情の中から汲み取ってゆけるような気がした。しかし、その話し合いのベースが、“本当に、一人ひとりの意志を尊重する”になっていたかどうか、そこに至るまでの長い道のりをこの映画を観ながら感じた。

教師から写真付の自己紹介文を手渡され喜ぶ生徒たち、外で、校長先生も、教師も、生徒もみんなでサッカーをやって遊ぶ場面…… そして教室に場面が移る。クラスのなかには、机の横に無造作にころがった椅子があちこちに見える。これは、何を暗示する場面なのだろうか?

この映画を通して一番大嶋さんが語りたかったこと、それが、この映画を作った人たちの一番伝えたかったメッセージだったかもしれない。

(吉田順一)    このページのトップへ


子ども達の生活態度をどう躾るか。問題を起こす生徒をどう取り締まるか。教師間で議論される場面があるが、解決へとは発展しない。議論しつくせないまま対処すべき問題が次から次へと発生し、教師はそれに追われていく。生徒も振り回される。
「これが現実だ。仕方ない」としてしまえば、それまでだが、「その現実」から少し離れて、こうした問題をもう少し考えてみたい。記者のレポートは続きます。 (記者:いわた)

記事は続く>>> 教師の一言が生徒との壁に 

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