作品1 「営々」(162cm×91cm 2005年)
作者の言葉 閉じ込められた時間を感じて・・
この風景は絵葉書にもなっているお馴染みの場所だ。
記念写真を撮るにも絶好 のスポットで、多くのカメラマンがここから写真を撮っていく。
私は、その横でせっせと写生に励んでいた。
写真にとってしまえば、一瞬で切り取ることができる風景だが。
たしかに、この景観を初めて目にしたとき、胸が空くような思いがした。
それが、何だろう、と思いつつスケッチブックを取り出して写生をはじめた
のだった 。
写生は丸二日かかった。
でも、その楽しさというのは、一瞬では語れない、一瞬の感激では、
終わらないものだった。
写生している時は、いろんな想像が働くもので、空想や幻想が
浮かぶものである。
この山奥にこの棚田を作った人たちのこと、石を積み上げ、
水を引き、
そして、その田んぼで、毎年、毎年、田植えをし、世話をし、
稲を刈り、生活を営んできた人たちがいること、
そこを巡る自然の営み、
1600年頃から造り始めたというから、何世代にも渡って営まれてきた
場所である。
そういった人と自然の絶え間ない営々とした時間が、
ここには詰まって見える、と感じた。
その時間、というのは、一つのエネルギーのようなものとして
この場所に詰まっている、とも感じた。
そうか、私が、初めて見て感じたものは、そういった場に内在する
エネルギーのようなものかもしれない。
時間をかけて写生すればするほど、自分の中にも、エネルギーが
満ちてくるようで、帰る時はとても元気になっている自分がいた。
それが単に、写生できた充足感や満足感というものかもしれないが、
この写生を作品に仕上げるときに、この場所に詰まった、人と自然の
営み、その膨大な時間を、できるだけ作品に押し込めたい、
そして、見る人に少しでもそれが伝わるように、という思いで
この絵をかき上げた。
作品としては、とても拙いもので、絵としても、絵葉書の域を脱して
いないが、できる限りの時間をかけて、この場所に詰まった時間を
この作品に込めたつもりだ。
三重県紀和町の丸山千枚田を描いたもの。2005年6月に写生