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「今こそ、賢治を読もう!」の真意は? 

『今こそ宮沢賢治を読もう』B 『セロ弾きのゴーシュ』  《5月29日》


児童文学者の牛丸さん

主人公の人間的な変化を見ると

今回からタイトルの枕に「今こそ」と付け足され「今こそ宮沢賢治を読もう!」となった。
牛丸先生曰く「賢治は、人と人のつながり、人と自然、人と宇宙までもつながっていることを意識しながら童話を書いている。震災後の非常事態ゆえにふさわしい」とのこと。今の状況を踏まえて読んでみるのは面白い。

今日読むのは『セロ弾きのゴーシュ』。子供たちにも人気の童話の一つだ。ストーリーが分かりやすく、場面で登場する動物とのやりとりもユーモラスで、結末も円満に終わる。この童話を先生はどのように読み解くのだろうか。

いつもより1週間早い入梅と台風で雨の一日となり、参加者も前回より少なめだった。
今回は読み方に一工夫凝らして、ゴーシュを男性が、動物たちを女性が、地の文を司会が朗読するという手法で輪読した。段落を区切りながら、先生の解説と問いかけが入る。

孤独で頑固一途な主人公のゴーシュが、動物たちとのふれあいを通して、セロ(チェロ)弾きの腕を上げ、人間的な面でも心を開き変わっていくという物語。人間的な変化の観点は、先生の解説によるもので、一度読むだけでは、目に留まらない一面かもしれない。
そして、結末の一文が、どうしても腑に落ちないとも先生は指摘する。「なぜ、かっこうにお詫びしたのだろう?」

主人公の気づきとは

みんなで読む。感想を出し合う。先生の解説が入る。まるで国語の授業と思ってしまうが、ここには正解はない。賢治がこの場所にいて解説してくれるわけではない。どこまでも探るより道はない。牛丸先生の豊富な知識や経験もその道標に過ぎないし、そういう問いかけ方、話され方をする。
一人で読んでいたのでは、まるで気づきもしない一面を覗かせ、物語を深く豊かにする。どんな気持ちで読むかで、内容は大きく変わってくるものだ。

「なぜ、今、賢治なのか」を考えながら、改めて先生の指摘を参考に読み直すと、何だか、その気持ちが浮かび上がってくるようだ。

講座の後にもう一度、ゴーシュの心の変化に目を配りながら、読み直してみた。
すると、ほのぼのとしたゴーシュの温かみがいっそう浮かび上がってくる。
コンサートでの成功やアンコールの出来映えに拍手を送りたくなるのは当然だが、それ以上に、最後の一文には、何かメッセージが込められているような…
ゴーシュが自己を振り返り、何かに気づき、謙虚につぶやく一言。
ゴーシュはとても大事なことに気づいたようにも受け取れる。
ここに、今私たちが読み解かねばならない真意があるのでは、と深読みしたくなる。

この一文と牛丸先生の指摘について感想を書かれた吉田さんの文を紹介して終わりたい。

そこに生きる僕がいる

牛丸先生の用意してくれたレジメを手に持ち、今パソコンに向かっている。何かじんとしたものを心に感じる。進行の敏美ちゃんの声が僕の中によみがえる。男の人がゴーシュを女の人が猫やかっこう、狸を声に出して読み合う。
思い思い一人で読むのと、こんなふうに読みあったからなのか、そして先生の深読みにみんなの脳が刺激され、僕の脳も反応を起こしているのだろうか、文章が立体的になって今僕に迫ってくる気がする。こんな感覚を覚えるのは初めての感じだ。とても不思議な気持がする。
声が聞こえてくる、ゴ-シュや動物たちの姿が垣間見える、そんな感覚といったらいいのだろうか?”そこに生きる僕がいる”。そんな気持を覚える。

‥‥‥そしてまた水をがぶがぶ呑みました。それから窓をあけていつかかっこうの飛んで行ったと思った遠くの空をながめながら「ああかっこう。あのときはすまなかったなあ。おれは怒ったんじゃなかったんだ」と云いました。(『セロ弾きのゴーシュ』原文より)

 最後の部分、読めばそうかで終わりそうだけれど、牛丸先生がここの部分を指摘して、「何を云わんとしているのか‥‥考え中‥‥で。」と出された。そのことが僕の心に大きく余韻を残し、もっと深く理解をしてゆきたいという欲求が出てきた。先生を通してとても大きな贈り物をいただいたような気持がする。ありがとうございました。(吉田)


次回は、最近の朝日の天声人語で取り上げていた『二十六夜』を取り上げたいとのことです。お楽しみに 。日程は決まり次第お知らせします。(記事:いわた)

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