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“たましい” ふとる その言葉の余韻が今も

『今こそ宮沢賢治を読もう』I 『宮沢賢治の音楽会A』  《12月18日》  


児童文学者の牛丸仁さんによるカルチャーカフェ

先回11月27日は、牛丸先生が入院中となり、参加者だけによる勉強会として行われた。
先生の連絡によれば、 「担当医からは調子が良ければ点滴外して行ってもよいと言われたが、絶食からの脱出に失敗し不安定なので無理をせず、次回に備えることにします」とのことだった。
そこで、集まった人たちで、予定していた『月夜のでんしんばしら』の輪読や、『宮沢賢治の音楽会』の映像を前半部分だけ鑑賞し、先生不在による会となったが、宮沢賢治の世界に浸ることが出来た。


そして、今回、先生の体調もやや回復され、12月18日予定通り、カルチャーカフェ「今こそ、宮沢賢治を読もう」第10回が開催された。参加者は楽しみにしていたようで、席はいっぱいになっていた。 先回の続きの映像を鑑賞し、牛丸先生の講義へと入った。
その様子を、宮地昌幸さんのブログ記事でお楽しみ下さい。



「音がする・・・」
        
                         (宮地昌幸さんのブログより


その日、会場になっている鈴鹿カルチャーステーションのセミナー室に着いたときは、スクリーンに映画が映っていた。
 イスは人で埋まっていた。
 暗い中で、空きスペースを見つけて、なんとか座った。

 宮沢賢治がテーマのドキュメントみたいだった。
 賢治が生まれた頃に、三陸大地震と津波があったという。
 どうも、このドキュメントは3・11以後に製作されたもの。
 「人間が微力だと・・・」ナレーション。
 「あまゆじゅとてちてけんじゃ」花巻弁。
  賢治は音と対話ができる。
  風・種山が原・イーハートーブ・小岩井農場・ぎんどろの木・
やまなしの木。
 宇宙、いきとしいけるものと会話できる・・
 「カプカプ笑う」

 手島葵。一青ようが賢治の作曲を歌う。
 冨田勲・佐藤泰平など音楽家が賢治から受けた衝撃・・

 この映画は、最近NHKで放映された「宮沢賢治の音楽会」というドキュメント。
 入院中の牛丸先生が番組表でこれを見つけ、録画をしてくれと言ってきたと坂井さんから聞いた。

 この映画のスクリーンを見ながら、ときどき牛丸先生を見る。
 はじめ肘のないイスだった。途中、坂井さんが肘付きイズに変えた。 
 そのうち床に下りて座りこんだ。女の人が座布団を差し入れた。

 セミナー室に照明がもどった。
 先生はやせて見えた。
 話はじめると、いつもの語り口、軽妙でこころに響いてくる。

賢治の「永訣の朝」の詩のプリントと原稿用紙が全員に配られた。
「さーて、みなさんには宮沢賢治になってもらいます。
お配りした原稿用紙に、詩の内容は変えないで、平仮名にするか
漢字にするか、考えながら書き写してみてください」

     永訣の朝 
  
  けふのうちに 
  とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
  みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
     (あめゆじゆとてきてけんじゃ)

 
ぼくらは原稿用紙にむかう。なつかしい。
牛丸先生は白板に漢字に変えたものを書いた。
    
  今日のうちに
  遠くへ行ってしまうわたしの妹よ
  霙が降って表は変に明るいのだ

「さあ、それぐらいにしましょうか。お遊びですから・・」とか、
言いながら「漢字にした時と、どういう感じになるかなあ・・?」 と投げかけ。
「“へん”を“変”にしたんだけど、平仮名のほうがやさしい」
など感想がいくつか出てきた。

「そうなんですよね。賢治は漢字を知らなかったわけではない。
一字一句、どうするか考えたんだなあ。妹の死に際して、
賢治にとっては、漢字で書いたら生と死が別れてしまうことに
なったのでは・・おもしろいですね。こういうところ・・・
おおいに詩を書いてほしいなあ・・」 




 つぎに一枚のプリントと一枚の原稿用紙が配られた。
 原稿用紙は先生の詩が自筆で書かれたと紹介された。
 「ええ!全員のものを・・」と思った。

プリントは、30年前、課題詩として、子どもを謳ったもの。

       帰り道

  つゆあけのお日さま
   ぎらぎら
  ふきを一本づつぬけ。

  虫食いの葉のあなから
  光の矢がさしこんで 
  鼻の頭がまぶしいぞ。

  ふきの日がさの行列
   でこぼこ 
    でこぼこ
   でこぼこ。

  入道雲をあおぎながら
  あぜ道をわたって帰る。

 「みなさんは、“あおぎながら”というところ、どんな漢字を
あてるかなあ」と問いかけるような、一人ごとのような・・・
 「木曽のほうのふきは傘になるほどに大きい。この“あおぐ”
というのは、うちわで入道雲を“あおぐ”という情景なんだなあ」
 読んで、一瞬“仰ぐ”とイメージしていたので、“扇ぐ”と
してみたら、子どもが詩のなかで躍動しはじめた。おもしろい。



 原稿用紙に万年筆で手書きしてある詩。

     音がする

  音がする 音がする
  北風通る 音がする
  音がする 音がする 
  柿の実の落ちる音がする
  冬の近づく音がする


 「いい詩(うた)なんだよ」とちょっと背筋伸ばし、顎を上にあげたように見えた。



 それから、「あははあ」と笑った。まるで、やんちゃ坊主のように。



 「柿の実が落ちるなんて、当たりまえじゃんといったら、
それまでだけどね」

 それから真顔になって。「いまの時代、詩を書いてほしいなあ」と言った。



 「感覚だけで書いたものはダメなんだよね。
  たましいがふとってくるようなものじゃないとね」
 語りかけているのか、述懐しているのか、どちらとも言えるような。

 「さあ、きょうはこれくらいにしようか。なにか。みなさんからありますか?」と先生。
 「“音がする”を歌ってみてください」と声があがる。
 一瞬、間があったように覚えているが、すぐ歌いはじめた。
 しやがれた声だったけど、”柿の実の落ちる”と言う節はなにか響いてくるものがあった。
 「もう、枯れつきちゃうなあ・・」

 「もう、いいかな?」と先生。
 そしたら、会場の女の人から「いいですか」と声がかかった。
 「先生、感想ですが聞きながら、いろいろあるじぶんでも、
 たましいがふとるということがあるのを感じました。
 ありがとうございました」


 先生はしばらくじっと空を見つめているようだった、
 あるいは、なにか内から湧いてくるコトバにならないものがあったのか・・・
 間があって、
 「いやあ、じっさいは、みなさんが、
  わたしを、ふとらせてくれたんだと・・・」とおっしゃった。
 会場には、深い沈黙の瞬間があったように感じた。

 「じゃあ、これぐらいで。次回の準備も、もうはじめているんですよ」
 と先生。
  
 “たましいが ふとる” 
  いまでもそのコトバの余韻が尾を引いている。(宮地昌幸)


講座に参加した20代の若者の感想も紹介しておきたい。

  今、生きている

  牛丸仁さんって…末期ガンで…
  もうすぐ…。みたいな。

  死んだらどうなるんだろう。
  死ぬって、どんな気持ちなんだろう。
  1ヶ月後には、自分はこの世に存在していないかもしれない、
  ってどんな心境なんだろう、

  って、

  死ぬほうばっかりを考えていた。

  昨日の講座での姿を見ていて、
  ああ、この人は、今、生きているんだな、と思った。

  “私の物語は、生きる物語であって、死ぬ物語ではない”

  夏の講演会の時の言葉が思い出された。

  今、生きている。

  死ぬために生きている人なんかいない。

  人が生きる、生きている、ってどういうことだろう、
  と考えた。
 (福田博也)

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