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イヴ・モンタンの魅力に迫るA 

       ――参加者の吉田順一さんのレポートから  @に戻る Bに進む

監督の意図、大嶋さんの真意、そしてイヴ・モンタンその人とは?

見るたびに映画の印象が変わる?

「ギャルソン」=「給仕係」(ウエイター)。
大島さんの最初の解説から一つ一つ映画の外観を知ってゆくことになる。
ブラッスリー(居酒屋風のレストラン)そこで、チーフとして働く主人公の“人生模様”が、俳優“イヴ・モンタン”を使って巧みに表現された映画だと思った。

解説の中で強く印象に残ったことがある。それは、大島さんが、この映画を過去に何度か観ているということ、そしてその度に、印象が変わってきているということだ。
モンタンの演じる主人公に対し、若い頃にはいやらしく思ったりしたという。それが、60になった自分が今みると、そのいやらしさみたいなものは抜けて、同じ目線で主人公を観ている自分がいるとか言っていたろうか? 本もそうだけれど、映画もそんな意味では、2度3度と年を経て観た映画は、また大きくその印象も変わってくるということだった。

 『ギャルソン!』この映画で一番監督の伝えたかったことはなんっだたのだろうか?

 僕は、ちょうど僕と同じ62歳のモンタンの演じる演技に心を向けた。
「いい男だなあ」と思った。見てくれもすごくハンサムだし、人にたいする物あたりも決して焦らずに。実にスマートだ。同僚が「今晩でやめる」と言ったとき、「それなら自分もやめる」と言い出した。優しさを感じた。


同僚のジベールから指摘されるアレックス(右=イヴ・モンタン)

しかし、同じ部屋に住むこの同僚からアレックス(モンタン)は、指摘を受ける。「あんたは、ひとと関わろうとしない。人に入って行こうとしない」そんな感じのことだったかな?女性との関わりもそれぞれにはあるのだけれど、どろどろとしたものにはつくられていない。それがかえって、観ている自分には疲れを感じさせない部分と、もっと突っ込んでという思いからすると、物足りなさみたいなものもあったろうか?

 ブラッスリーで、チーフとして働くアレックスの日常を描写した映画といえばいえるのだろうか?細かな動作ひとつひとつ、微妙な視線の運び具合は、俳優の持ち味を最大限に生かしたものといえるかもしれない。


17年振りに出会った女性クレールと恋仲になっていく

17年振りに出会った女性に好意を寄せるアレックスだけれども、彼女が恋人と生きる話を聞く時、ものすごく悲しいのだけれど、それで嘆き悲しむことはしない。ずっと恐れてはいたけれど、心のどこかで予期していたもの‥‥さめたというか、ここにも同僚の指摘した、“人と深く関わりを持とうとしない”淡白な一面とでもいおうか? さめた人生に対する見方が現れているのだろうか? クエスチョンだらけだ。


しかし、クレールはアフリカの彼氏の方を選んだ


父親の残した土地に遊園地を作りオープの日を迎えた

映画の最終場面。海岸沿いに出来上がった遊園地、そこはアレックスが父親から譲り受けた土地だった。関わりを持った女性からの資金提供を受けて出来上がったものだった。
大勢の人々で賑わう遊園地は、突然の大雨に見舞われる。雨から逃れようとして人々は急ごしらえのテントへ逃げ込む。アレックスもだ。ザーザーと降る雨は、人の姿が霞むほどだった。テントの中でかたまりあって、雨をしのぐ姿は、この映画が終わり、そのあとで観たもう一本の映画の、ワンシーンにつながっていった。


突然のスコールシーン。『IP5』の映画とも通じる

モンタンの遺作ともなった、「IP5」という映画だ。そのシーンとは、若者が老人を探して森へ入ってゆき、そこで見たものは、猛烈な雨を全身に浴び、びしょ濡れになっているその人の姿だった。
まるで滝に打たれるように雨を浴びている老人の全身は、光に包まれているようだった。「わたしは無だ。」そういう老人の言葉は、近づく死を予見するモンタン自身を投影しているかのようだった。
ほんの一分そこそこのこの場面を捉えて、そこを僕たちに提供してくれた大嶋さんの、真意は奈辺にあるのだろうか?人間というもの、その人間と人間が織りなしてゆく人生というもの、改めて自分自身に問いかけてゆく材料を提供してもらった気が今しています。


(吉田順一)

→→→ギャルソンという生き方を考える 記者の目

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