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社会の様々な危機を自分と重ねて見る

映画『女と男の危機』1992年、監督 コリーヌ・セロー


大嶋さんの講座 大嶋優さん

映画を鏡に自分を見る!

私たちは、自分自身の言動や態度を他人が見ているようには見えないものだ。自分が良かれとしている事でも、相手にとっては迷惑だったり、傷つけていることもある。そうした振る舞いに自分ではなかなか気付けない。また忙しい日常の中では振り返ることも少ないかも。

先日、フランス映画愛好家・大嶋優さん紹介の映画、『女と男の危機』を鑑賞した。
まさに、そんな自分にピッタリのテーマだった。
例えば、ある日突然、妻が家を出て行った、なんてことがあったとしたら… 
はじめて妻に対する自分の態度を振り返るかな?
映画は、そんな一場面から始まる。


突然の妻の家出…

 リストラされて上司と口論

主人公のヴィクトールは朝目覚めると、隣にいるはずの妻がいない。置手紙を残して家出してしまった。子ども2人は、その日から始まるバカンスでスキーに行くことになっていたのに。子どもたちを義母に預けて出社すると今度は突然の解雇通知が待っていた。

二重のショックを抱えるヴィクトール。誰かに相談したい、聞いてほしいと友人知人を訪ね回る。ところが、行く先々で、会う人毎にそれぞれ問題を抱え危機%I状況に遭遇していく。ヴィクトールの非常事態、「なぜ妻は突然出て行ってしまったのか」を主題にストーリーは進行する。

映画の原題は『La Crise』。直訳すれば『危機』その一言だそうだ。監督がフェミニストの女性で、敬意を示して、『男と女の…』とはしなかったのでは、と大嶋さんが解説してくれた。

その危機≠ニは、夫婦にはじまり、離婚、リストラ、薬漬け医療、離婚後の子育て、人種差別、移民、エコロジー、食の安全、フェミニズム、人間関係…など、社会全般にかかわる問題を映画は取り上げる。ヴィクトールの訪ねた先で、そうした問題の議論口論が巻き起こっていく。ヴィクトールも第三者的に眺めながらも自分を省みる。社会問題の出どころとヴィクトールの夫婦の危機がどこか重なって見えるのだ。


 ヴィクトールの実家で家族会議

身勝手だけど…

ヴィクトールが実家の両親を訪ねた時のこと。 母親は10歳年下の男性と不倫していたことを打ち明けていた。妹も入っての家族会議となる。

「私は30年間あなたたちを世話してきた。愚痴も言わず。だけど、もう引退するわ。自分のためだけに生きたいの。私がいいセックスを求めちゃいけないの?…」

そう言い放ち、母親は、外で待っていたその男性と出て行ってしまう。

そこに入ってきたのが不倫男性の妻の方で今度は父親が抱擁し慰める。二人はカップルになる?と余韻を残して次の場面へ。ちょっと笑えるシーン。

ヴィクトールは妹のイザの家にその晩泊る。そこへ、イザの彼氏が深夜に引っ越してくる。その突然の行動にイザはキレる。彼氏は言う。

「俺は自分勝手だったよ。でも今夜気づいた。君を心から愛している。だから結婚しよう」

そのセリフ自体が勝手過ぎるが、彼氏は、「愛しているから」という理由で許されると思っているようだ。イザは「結婚はしたくない」と断る。 恋人同士のそれぞれの身勝手さを隣室で聞くヴィクトールは、身につまされる。

登場人物は、みな自分の都合を相手に押し付けるばかりで、人の話など聞く耳を持たないエゴイスト。コミュニケーションが取れない主張のぶつけ合い状態だ。そもそもそこが問題なのだが・・・。

風来坊のミシュー

ところが、酒場で出会った風来坊のミシューは違った。ヴィクトールに寄り添ってくる。正直者でどこか人間味があるミシューと行動を共にしていく。

ミシューの兄嫁は余命何日かの病床の身となっていた。 そこへヴィクトールが訪ねていく。はじめて悩みを聞いてもらったのだった。

彼女から「永遠の愛」と「快楽」の秘密を授けられる。ここは謎めいていて興味そそられるシーン。男女の愛を永遠にする秘密とは何だろう?


 異父母の子ども達でバカンスへ

フランスの離婚率は50%


後半は、前半に出会った人たちを逆走し、それぞれが自ら掴んだ幸せを映し出していく。

フランスの離婚率は50%を超えているそうだ。結婚して5年ほどで分かれるカップルが多い。日本の社会制度とは違う面もあるからだろうが、映画には微笑まし場面があった。離婚しても、異父母の子ども達が大家族のように過ごし、その親たちも仲がいい。バカンスにみんなでスキーに行く場面がある。ヴィクトールは、その様子を「家庭崩壊。子どもたちは憐れな板挟みだ」と同情するが、その中にいた母親は「私たちは幸せよ。うまくいっている。同情する方はあなたの方よ」と言い返す。「なぜ妻が僕を捨てたのか」と聞くと「一緒にいたことの方が不思議よ」と答える。
結婚という制度に縛られているだけかもしれない。

そんな子ども達がスキーから帰ってくる姿を見たヴィクトールは、義母に頼まれていた「家のサンドイッチを片づけておくこと」を思い出す。留守中の義母宅を尋ねてみるとサンドイッチがない。不思議がり、バカンス中の義母に電話する。
義母は、「あなたはサンドイッチの始末も忘れてたし、子どもたちは毎日待ってたのに電話もしない」と指摘。
ヴィクトールは、その言葉に、ハッとする。
自分が悲劇の主人公になっていて、人のことに気が回らなかった。
「僕は、最低の男だ」。
妻が最近疲れていることも知らず、自分が霧の中にいることさえも、見ていなかったことを覚る。妻がかけがえのない存在であることを思い知らされ、ラストシーンへ。
(ネタバレになるので、内容はここまでにしておきます)

 ヴィクトールの妻のマリー

女性監督だけに、一貫して女性の言い分や主張を通しているようにも見えた。社会の中で男性に振り回されている女性の立場や弱さを訴えたかったのか。

移民問題を代議士と語る場面がある。
「フランスは多くの移民を受け入れている寛容な国だ」と代議士が言う。しかし、「その外国人に貧乏人は住居を奪われている。世界はパンク状態で溢れているが、金持ちは追い立てられることがない」と、住居のないミシューは非難する。そもそも金持ちと貧乏人がいるってことが・・・

自分の立場が他の人の立場を犯していることを知らない。だから、平気だったりする。

ヴィクトールもその一人だろう。現代社会で働く男性たちは、この社会の中で自分の居場所を確保するために、ある意味せめぎ合っている。それが家族のためと思いながらも。だが、その家族への眼差しは、思っているほど向けられていない。目の前のことに忙しく、周囲が見えない状態だ。「働かなければ生きていけない」そんな思い込みもある。本当は?

映画は、そうした現代社会への問題提起とそこにいる自分自身を映し出す。 
映画を見終えると、その難問も解けるかもしれない、と逆に考えさせられた。
一度自分が信じ込んでしまったマインドセットをまずは解くところからかな…

(記事:いわた)

映画を見終えての直ぐの感想》》》吉田さんのレポート

次回のお知らせ
第33回 大嶋優の「映画を通してフランス文化を知る」講座
2018年2月4日(日)午後4:00〜映画解説『大統領の料理人』

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