第1回偉人・賢人スピーチコンテスト開催!
《鈴鹿をよくする会主催・SCS共催 かがやく鈴鹿 偉人・賢人まつり》
《2015年2月15日》
第1回スピーチコンテストが三重工熱さんの会社ビル4Fで開催
鈴鹿をよくする会と鈴鹿カルチャーステーション共催の「第1回偉人賢人スピーチコンテスト」と「表彰式」が三重工熱株式会社ビル4階で2月15日に開かれました。
今年から「かがやく鈴鹿偉人★賢人まつり」と称して、千代崎海岸等のごみひろい、仮装ウォーク、そして、スピーチコンテストを開催してきました。鈴鹿の偉人・賢人として大黒屋光太夫、前川定五郎、佐佐木信綱氏らの3人を顕彰しようと開いているイベントで、2月15日には、その参加者を表彰する式典も持たれました。
鈴鹿をよくする会会長の中田つかおさん、「開式のあいさつ」。
同会員の川原光治さん、「開式の言葉」。
来賓の杉野勝久さんのあいさつ。
スピーチコンテスト 審査員の紹介。
スピーチコンテストスタート
スピーチコンテストは、鈴鹿の偉人・賢人、ごみひろい、海がめ、海岸等をテーマにして、各自の主張を7分以内に述べる、という内容です。この企画に4人の応募があり、それぞれ壇上に立ち発表が行われました。今回は、全員が大黒屋光太夫を取り上げています。
若松小1年の松本弦己(げんき)君、「大黒屋こうだゆうへの手紙」
若松小6年の舘雅人君、「ぼくと光太夫」
鈴鹿国際大学1年、ロシア留学生のドロホフ・マキシム君、「大黒屋光太夫」
マキシム君のスピーチを簡単に紹介しましょう。
「ロシアには、それぞれの都市に『日本文化の日』というイベントがあり、日本の映画を見たり、着物を着たり、茶道や書道を体験します。この経験からロシアの大学で日本語を勉強するようになりました。
友達のいるイルクーツクで『日本文化の日』に参加した折りに、日本語を学んでいるロシア人と知り合い、その彼から『大黒屋光太夫』の話を聞いたのです。
光太夫は、若松村の生まれの船乗りです。江戸に向かう途中嵐に遭い、ロシアに漂着します。ロシア人と仲良くなりロシア語を話せるようになります。ロシアで日本語学校を作り、ロシア語で日本語や日本文化を伝えました。また、エカテリーナ女帝に謁見でき、10年間の生活をロシア語で伝えています。
光太夫が綴った『おろしや国酔夢譚』にはロシアの人、文化、伝統が記され、日本人にロシア文化を伝える書物になりました。
その時代、徳川家斉は光太夫を呼び、ロシアのことを聞くことが出来ました。その結果、鎖国中でもロシア船の入港が許され、ロシアとの交流がはじまったのです。
私は、『おろしや国酔夢譚』の本から当時の事を詳細に知り、逆に日本のことも分かりました。ロシアと日本をつないでくれた光太夫を尊敬しています。私もロシアと日本のかけ橋になりたいと思っています。」
と流暢な日本語でのスピーチでした。
三重大付属小6年の松本芽久(がく)君、「光太夫に思いをはせて」
(ロシア語も交えて発表しました)
表彰式
鈴鹿をよくする会顧問の村上祐道氏の挨拶。
第1回偉人賢人ごみひろいの部 金賞
石薬師地区 風乱舞様
第1回 偉人賢人仮装ウォークの部
金賞 鈴鹿国際大学 女子ソフトボール部様
(女子ソフトボール部は試合で出席できず、代わって鈴鹿国際大学事務局長さんが出席)
第1回 偉人賢人仮装ウォークの部
銀賞 鈴鹿国際大学 男子バレーボール部様
銀賞 鈴鹿国際大学 女子バレーボール部様
第1回 偉人賢人仮装ウォークの部
銀賞 鈴鹿国際大学 レスリング部様
表彰式後、懇談の場となり、中田さんが弁士にインタビューしました。
ロシアと日本をつなぐ固い握手を。
鈴鹿国際大学副学長さんも出席=写真=一番右の席
閉会のことばを佐合大作さんが述べて式は終了。