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今回のチラシ




講師の大嶋優さん
(関西学院大学フランス語講師)
毎回様々な角度から映画を解説
してくれる。
歴史・思想・現代社会の問題、
言語・文化・芸術、
生き方・人生…
をテーマに潜ませて語ってくれ
ます。
















































































自ら“ロックト・イン”してない?  A @

大嶋優講座 第17回を受けて、わたしの映画レビュー 『潜水服は蝶の夢を見る』(2007年、監督ジュリアン・シュナベル)/いわたたかし




アルファベットを読み上げながら、文字を記述していく編集者

想像を絶する作業

今回の大嶋さんが選んだ映画『潜水服は蝶の夢を見る』は、私にとっては難解な作品だった。
主人公、ジャン・ドミニク・ボビは、ある日、脳梗塞で倒れ、気がつくと、全身麻痺状態のロックト・イン シンドロームとなっていた。意識は正常だが、身体は動かず、話すことも出来ない。唯一、聴覚と左目だけが機能し、瞬きによって、自伝を書き上げ、本の出版に至る。その本を映画化した作品が『潜水服は蝶の夢を見る』というタイトルとなった。

なんともシュールな題名だと感じたが、ジャンは、ロックト・インとなった自分の状態を“潜水服”に閉じ込められ身動きの出来ない状況に喩えたのだった。また、彼は左目の他に機能するものに気づく。「記憶と想像力だ」と。その二つを羽ばたかせ、彼は、意識の中で蝶のように自由に舞うことを可能にした。出版された本の原題は『潜水服と蝶々』。この言葉は、彼の状態を的確に表現した言葉だったのだ。

映画で驚かされたのは、彼が瞬きによって言葉を伝える方法だ。言語療法士(映画では美人女性)が、アルファベットを読み上げ、該当する文字を、瞬きで答え、一音一音を書き止めて、文字を完成させていくという方法。彼の努力もさることながら、アルファベットを口にして、言葉を書き留める側の忍耐力には敬服する。自伝は20万回の瞬きによって書かれたというから、いったいその言葉を紡ぐのに、編集者はその何倍のアルファベットを読み上げたのか、想像を絶する作業だったことだろう。

本は世界28カ国で出版され世界的なベストセラーにもなったという。世界の人々が共感したものは何だったのか。彼がロックトイン・シンドロームとなった状況で執筆された彼のメッセージを私自身も様々な思いを巡らした。以下、まとまりがつかないため、項目毎に思うことを書き綴ってみた。


言語療法士との会話

◆絶望から希望へ

「私は死を望む」
彼が、最初の方で言語療法士に伝えた言葉だ。
カラダを動かすことも出来ず、話せず状態で、意識だけはあったとしても、どこに生きる意味があるのか、何を糧として生きるのか、彼にとっては絶望しかない。死にたい、と思うのも当然だろう。それを聴いた言語療法士は、その言葉を拒否した。

(大嶋さんの解説では、彼と同時期に、やはりロックト・インとなった若き消防士が近くの病院に入院していたという。ヴァンサン・アンベール、19歳の彼は、目は見えず、話せないが、頭脳は明晰で、耳は聞え、親指だけが動かせるという状況だった。フランスでは安楽死は認められていないため彼は、シラク大統領宛に「死ぬ権利」を請願したという。権利は認められなかったが、彼は、自分の尊厳と母の人生を守るために安楽死を選んだという。)

ジャンの場合、絶望の淵にありながら、言葉を引き出す療法士とのコミュニケーションの中で、一つの希望に目覚めていく。自分の人生を振り返りつつ…
「僕の人生は小さな失敗の連続のように思える― 悲惨な運命のおかげで― 僕は自分の本質に気づいたのか― 僕はもう自分を憐れむのはやめた」と。
そう悟ったとき、彼は、想像力と記憶を羽ばたかせた。

自己が満たされないとき、人は無いものばかりを見たがる。あるものに気づかない。


潜水服の状態

◆ロックト・イン状態

現代人は、多かれ少なかれ、ロックト・イン状態なのではないか。仕事に縛られ、会社に縛られ、人間関係に縛られ、あるいは、家庭や家族、もしくは、大きな社会の枠組みの中で閉塞状態にある。これは、ジャンのようにカラダが身動きが出来ずというのではなく、心が縛られている状態。ジャンの精神が自由になったように、心を解放するには、どうすることか? 
(という私自身、仕事にロックト・イン状況だ。それを一番感じたのは、先日母が田舎から遊びに来たとき、十分な相手もしてやれず、早々と帰らせてしまった。なんと情けない息子かと自分を憐れんだ。年老いた母に何もしてやれないことを悔いた。自らをロックト・インしてしまうのは何がそうさせてしまうのだろう? 自分の置かれている立場は自由の身でありながら…)


想像の世界で女性と料理を楽しむ

◆「果てしない内観?」

ロックト・イン状態を大嶋さんのレジュメには「果てしない内観?」と書かれていた。
“内観”とは、自己の記憶を辿り、内省し、自己探求すること等、様々な意味がある。“内観法”と呼ばれる自己探求の方法も開発されている。大嶋さんが、どのような意味で使ったかは別として、ロックト・イン(精神だけが閉じ込められた状況)で出来ることは、この内観であろう。自分の記憶を辿り、自己を探究する、自分とは何かを見つめる。

多くの人たちが、自分とは何か、ゆっくりと考える間もなく、日々仕事や時間に追われていることだろう。自らの身を閉塞状況に置いて、ロックト・インしてみる。一週間ばかり現世を断ち切り、心の旅に出かけてみる、というのはどうだろうか?

記憶とは、過去の出来事、と思っているかもしれない。が、蘇ってくる記憶は、現在のものでは? 過去の経験や体験も、今の記憶の中にあるのならば、今のものでは? 
今の自分の見方が変われば、経験や体験の事実は変わらなくとも、今のとらえ方が変わるのでは? 
ジャンは、憐れんでいた過去を、自分の置かれた状況を知ってから180度転換した。過去を振り返ることは、今の自分を知る大いなる手がかりであり、今の自分を変えることにもなり得る、と私は思う。


倒れる数日前に父親を訪ね、髭を剃るジャン

「人はみな子どもだ」

ジャンは父親との思い出を振り返る。倒れる数日前のことだ。父の具合が悪く泊まりにいき、翌朝老いた父の髭を剃ってあげる。
「父親に認められると…昔から安心できた。今はより一層そう思う。人はみな子どもだ。認めてほしいのだ。」と回想する。

「認めてほしい」――この言葉に人間の尊厳が込められているのではないか。
私たちは、何をするのも、何をしなくても、愛する人に認めてもらえれば、それで生きていける。ジャンは、もはや、輝かしいファッション雑誌の編集長ではない。今や何も出来ない状態だ。しかし、彼の尊厳が守られているのは、彼の存在を受け入れてくれる彼の周囲の人たちがいるから…


浜辺で家族と一日を過ごすジャン

父の日の一日

家族と過ごす一日をジャンは「すばらしい一日だ」と書きとめた。
「僕は父親なのに、小さな体をだきしめることもできない」
「でも姿を見るだけで幸せだ。笑い声を聞くだけで…」
「すばらしい一日だ」
幸せとは、どこにあるのだろう? 何だろう?


大嶋さんが今回この映画を選んだ理由があるはずだ。様々なテーマを投げかけ、ちょっと重くも感じる映画だった。ジャン自身の言葉に表せない気持ちは、遥かに深く、果てしないものがあることだろう。映画を制作したジュリアン・シュナベル監督にも、友人がロックト・イン症状に陥り、それが制作のきっかけだったという。

ジャンを支えた、病院関係者、出版者、家族、友人、そして世界中で本を出版した人たち、一つの命の中にあるもの、皆、同じ一つのものを支えようとしているような気がしてならない。人間としてもっとも大切なものを。

(記者:いわた)


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