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講師の大嶋優さん
(関西学院大学フランス語講師)

































































『太陽がいっぱい』―トムの性格とは?@ A

映画 『太陽がいっぱい』(1960年、監督ルネ・クレマン)

大嶋優のオーシネマ・カフェ 第16回 《6月9日》

映画感想 吉田さん 船田さん  


        

『太陽がいっぱい』より、フィリップと恋人のマルジュ。

◆『禁じられた遊び』のミッシェル(少年)がトムになった?

「かつて観た映画の内容は僕の記憶の中にほとんど残っていなかった。」というのが、見終わった今の率直な感想だ。

今回は、とても楽しみだった。「一体大嶋さんは、どんな切り口からこの映画を解説するのだろうか?」という関心が、今までになく僕の中には強くあったからだ。

しかし、「禁じられた遊び」を、同じ監督作品とはいえ、そこに焦点を当て、ルネクレマン監督の映画に託すテーマを見ようとした大嶋さんの映画解説には、いつもにも増してびっくりしたし、感動も覚えた。
「本当に観ているところが違うんだなあ。」そう感じたのは、禁じられた遊びの最後の場面、人でごった返す場面、「待っていてね‥‥」と修道女に言われ、一人残されたポレットの耳に聞こえてきた「ミッシェル、ミッシェル‥」に思い出したように「ミッシェル、ミッシェル‥」と言って雑踏の中に走りだしたポレット。僕の映画はここで終わっていた。

でも、大嶋さんの解説は更に続き、この後に走り出しながら、おかあさんの名前を呼んでいるところに関心を向けてゆく。「ポレットの中ではおかあさんが生きている。まだ、死というものが理解されていない‥‥」と。

映画から何を観るのか?それはその人その人でさまざまなものだろう。いくら監督が意識して作品を創りあげたとしても、それが観る人の中でどう昇華してゆくかはわからないことだと思う。そして、その人の中でも時が過ぎ再びその作品を観る時には、その時の心境世界で観る事になるのだろう。

今回の解説の中で3つの場面を取り上げて、解説を加えたのがおもしろくもあり、場面を見ただけではまったく的外れの観方になるところが、「へえー!そんな場面だったのか」と改めて本編に対する興味がわいてきた。

「禁じられた遊び」から8年後に作られたこの映画、僕の中では結末の“どんでん返し”を予想させる場面と、全編に流れるテーマ曲、そしてアランドロンの魅力が、記憶に刻まれた映画の印象だった。

今日この作品に触れ、今、「一体この映画のテーマは何なのだろう?」と思う。前後がない、と言えばいいのだろうか?いきなり本題に入ってゆくような、場面からの印象や、バックに流れる音楽に心奪われていると、肝心のこの映画のエキスを味わえずに終わってしまうことになるかもしれない。

フレディを殺害して運び出すトム

人を殺す、一人ならず二人も‥‥嘘をつく、次々と。
アランドロン演じるトムと、マルジュ(女性)の眼がクローズアップされる場面が印象的で、僕の心に浮かんでくる。憎しみからでもなく、反抗あるいは抵抗からでもなく、偶発的でもなく、用意周到ではないが、計画的でもあるような‥‥ しかし、人を殺すにいたる確たる理由が僕にはみつからない。

そこでふと思った。「禁じられた遊び」のミッシェルが成長し、トムになったんじゃないだろうか?と。  
船上でフィリップがトムに問いかける。「それで、その後どうなるんだい?」一瞬のうちにトムがナイフを手にして、フィリップの胸に突き刺す。殺人計画ゲームをやっているような二人のやり取りが、急展開して現実のことになってゆく‥‥。

この映画から僕は何を感じ取ろうとするのだろうか?トムの心を理解しようとしてもそれは出来ない。ならばどこを?いやおうなしに眼は自分の心に向いてゆく。無垢な心と、残酷な心を併せ持つ人間としての自分‥‥。普段は一生懸命理性で?抑えようとしている僕自身の心。

「太陽がいっぱいだから‥‥」という字幕でトムがそう言ったと僕は観ていたが、実際はどうなんだろう?「最高の気分だ」という字幕については、「最高の飲み物を」と大嶋さんの解説から聞き取れたけれど、一体あのセリフにはどんな意味が込められているのだろうか?

死を暗示させるような最後の場面、観終わってから何時間も経っているけれど、僕の中ではまだまだ反芻中の謎多い映画に思えてきている。

(吉田順一)


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 フェリップに成り済ますためにサインの練習をするトム

◆彼は本当に賢いの?   

アラン・ドロンが日本に来た時TV
記者会見で、1本たばこを出してまず
鼻にあてながらするっと口元に、
このしぐさがかっこいくて真似したっけ。

さて、「太陽がいっぱい」にあたり3つの
ポイントを大嶋先生が解説してくれた。
これが有と無しじゃ〜観る自分の興味関心も違うってもん。
で、人間観察の映像表現と監督の思想の発表舞台。
映画芸術を自分のお腹深く入り僕の思いが湧く刺激
となり足を通わせるのだろう。

1960年の作品でヌーヴェルヴァーグ(新しい波)
ロケ撮影が主で安く出来て新人俳優を出し即興面もある
等など・・調べて(Y!)

主人公トム(アラン・ドロン)は殺人をおかしてく、
頭の良い人として描かれ確かに常に何かを考え練って
計画線上に必然性に偶然が組まれての殺人は
戦争と同類思考なのか?状況計画は究極人を殺す?
自分を知らないちゅうことは賢いだろうがなんだろうが?
本当の平和は無い。

「禁じられた遊び」も同じ監督ルネ・クレマ
こどもの無垢・純粋なこころを監督は表現したという。
こう聞くと、もう1度「禁じられた遊び」観たくなる。
そしてラストシーンに・・<太陽がいっぱい>とトム
最後に「最高」「最高の飲み物」とフランス語は語る。

No1という意味だとか、彼の意味は本当に賢いのか?
じゃ〜なければ殺人さえも賢い???
僕も言葉をはく時どこかで賢いと思ってやしないか???

(船田武)    このページのトップへ



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